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24時間テレビの100キロマラソンは、そんなに大事なことなんだろうか [間接的に考える]

24時間テレビの100キロマラソンは、そんなに大事なことなんだろうか

予定調和というのが苦手な式守錦太夫です。
敷かれたレールに、車輪を乗せて、前に動くだけの生き方なんてつまんないじゃん!
とか言いつつ、たまに予定調和をパロディ的に見て笑うのが好き。
って、なんか性格が悪そうですね。

自由というのは、ポジティブに「○○をする自由」というのとは逆に、
「○○をしない」という自由もあります。
それを知ると、生き方が楽チンになります。
学校に行くというのは、義務ではなく権利の行使。
だから、いやだったら行かなくてもいい自由だってあるというのが自論。
そのことを今年も考える時期が近づいています。
子どもたちの自死が一番多いとされている、9月1日がもうすぐですね。
弊ブログではその時期にまた、呼びかけの文章を掲載したいと思います。

きょうはそんなに考え込むようなネタではないけれど、さまざまな噂が飛び交っているお話。

日本テレビ系列の夏の終わりは、恒例のチャリティ番組「24時間テレビ」であります。
2017081724時間テレビ.jpg
感動の押し売りだの、これが本当にチャリティかだの、議論百出ではありますが、
私はこの番組に、一定の評価をしています。
偽善だろうとなんだろうと、24時間、チャンネルを合わせればチャリティの呼びかけをしていて、
そこに幾ばくかのお金が集まるシステムは、テレビだからできる芸当です。
どんなに駅頭で募金活動をやっても、このパワーには勝てません。
そして、それを最初に始めたという自負が、番組に表れています。

あと、これは過去にも書いたことがありますが、この手の長時間番組は、
テレビ局の「体制」が如実に表れます。
その最たるものが、私は紅白歌合戦だと思っています。
もはや、ただの音楽番組ではない、NHKの経営命題というべきものですからね。
24時間テレビもそうです、各部局を総動員しているのがよくわかります。
例えば、24時間マラソンの中継技術は、箱根駅伝の中継方法と同じです。
ノウハウがここにいきますからね。

しかし、いま書いた「24時間マラソン」、いまでは100キロマラソンということになり、
過去のランナーは、ほぼ芸能人に固められています。
そして、番組の随所に登場し、エンディングは武道館のゴールという演出がお約束。
しかも、そのゴールの瞬間に最高視聴率が記録されるのも常の事です。
もはや、24時間テレビは、感動をごり押しされ、
100キロマラソンでゴールのシーンを見るのが「予定調和」。
まあ年に一回だからいいと思いますね、こんなの毎週やっていたらすぐに飽きます。

そのランナーが今年は事前に発表しないという方針とのこと。
芸能人でみそぎをしたい人に走らせるとか、水卜ちゃんが走って来春に退社という筋道とか、
ネットの世界では話題沸騰中のようです。
でも、これって芸人の罰ゲームになっちゃったの?とも思うし、
アナウンサーが職務命令で走るんじゃ、パワハラだなとかも考えますよね。
――という以前の問題として、24時間テレビはついに
マラソンなしでは成立しないのかという根源的な問題に直面しています。

そりゃ、世界陸上でマラソンが無かったら、陸上競技ではないです。
オールスター感謝祭で赤坂5丁目ミニマラソンが無かったら、
森脇健児のレーゾンデートルがありません(笑)
でも、チャリティ番組で、マラソンがないとコンテンツとして魅力ないんですかね。
日本人の悪しき慣習で、予定調和がないと安心できない。
だから、今年はだれが走るの?っていうことが、重要視されるのであります。

例年残暑の中で走らせることへの意見もあふれていますが、
だったら、夏の高校野球ももう少し涼しい時期にしたらいいわけだし、
2020年の東京五輪は、酷暑の8月開催ですからね。
こういうことを問題視すると「タブーに触れる悪い奴だ」ということになっていく風潮は、
なんとかならないものでしょうか。

この際、24時間テレビは今年からマラソンをやらないって言いきっちゃった方が、
来年以降、息の長い企画に再びなっていきますよ。
だって、一昨年のDAIGOとか、去年の笑点メンバーとかって、
取ってつけた感がありありでしたからね。

昨年は、24時間テレビのエンディングの裏番組で、Eテレが生放送で、
障害者の感動の押し売り問題をあえて議論する番組を放送しました。
もっとも、その昔は紅白歌合戦の裏番組で、
日テレが「紅白をぶっ潰せ」というサブタイトルで、
大野球拳大会を放送し、物議をかもした、その意趣返しなのかな。
でも昨年のEテレの番組は、私も見たけど面白かった。
こういうひねりを加えたのは、痛快だなと思います。

だから、この際、各局とも裏番組でどこもマラソンにしちゃえばいいんですよ。
それくらいの破壊力で臨めば、テレビというコンテンツもまた面白くなるんだけどなあ。
しかし、その手の「反・予定調和」は、避けるんですよね。

ギャンブル用語に「裏目千両」というのがあります。
テッパンレースの本命対抗をあえて外せば、大きな配当が狙えるから。
24時間テレビの裏で、その千両を狙えるテレビパーソンが一体いつ現れるのでしょうか。





タグ:テレビ番組
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発明創意工夫展に出品する甥っ子1号 [間接的に考える]

発明創意工夫展に出品する甥っ子1号

あすから連休、そして長めのお盆休みという人もいるのではないでしょうか。
まったくお盆とは関係なく、普通に仕事の式守錦太夫です。
なにがなんでも今日で仕事を終わらせないといけないという方々は、きょうは大忙しなんでしょうね。

目下、中2病まっさかりの甥っ子1号(中学2年生)。
中2病というのは嘘、まだ幼さを残す天然トンチンカンであります。

学校の夏休みの宿題に「発明創意工夫展への出品」というのがあって、
計画性のない彼にしては珍しく、夏休み中盤に差し掛かるこの時期に突然、
「これから考えて製作する」と口に出したかと思うと、
私があげた「ピタゴラスイッチ」のDVDを懸命に見始めたそう。
そこからなにか、ヒントをもらおうという姿勢はアッパレであります。

ところが朝になって「もうできた」と豪語している作品は、
あまりに雑であまりに幼稚で、頭を抱えちゃったという妹2号(甥っ子1号の母親です)。
彼には「前科」があって、昨年も出品したシロモノは、
クリーニング屋さんでもらえるハンガーを、ちょこっと折り曲げて「靴も干せるハンガー」
ものの数十秒で作ったとおぼしきこれが、学校の先生の逆鱗に触れたらしく、
他のクラスでもダメ出しされたとの素晴らしいエピソードがあったそうです。

私なぞは、そういうことを頭ごなしに否定するんじゃなくて、
そこを糸口になにか面白いベクトルに導いてあげればいいのになあって思うんですけど、
学校現場は大変なんでしょうかね。
横じまのハンカチを、縦じまのハンカチに変える方法とか、ウケそうなんだけどな。
(マギー司郎センセイの鉄板ネタです)
20170810ハンカチ.jpg

そういえば自分が学生の頃も似たような企画があったけど、
ああいうのって、正攻法で取り組まないと入賞しないから、まったく縁遠い存在でありました。
コインの直径の違いで、落ちる場所が違う貯金箱っていうのを作った記憶があるけど、
あの微妙な違いを認識できるほどの精密な作品を作る技術力が私には皆無で、
ほとんど同じ箱に落ちてしまうという、詰めの甘さを露呈して「参加賞」でしたね。

学生らしくない主旨で取り組んでも、きっと選外でしょうね。
「内閣支持率と政権の持続期間」とか、
「南沙諸島海域の地下資源と、権益をめぐる国家の軍事力」なんて、
数千枚のレポートになっちゃったりするだろうし、
「パチンコ業界における『三店方式』という闇」なんて、
もはや、発明創意工夫展でもなんでもありません(笑)

個人的には、「どこに需要があるんだ!泰葉のフルヌード」とかもいいと思うけど、
学校に親が呼び出されます(爆)

頭を抱えた妹2号、なんかいいネタないかなと、私に聞くともなく聞いてきました。
こういう時は、式守節の炸裂でありまして、あふれんばかりのネタを披露しました。
採用率は極めて悪かったですけど。

1、指に簡単に装着できるカッターで、雑誌の袋とじを瞬時にあけるグッズ
→人差し指にペーパーカッターを仕込み、立ち読み中の雑誌の袋とじを素早く開く
(ただし、器物損壊に問われます)

2、内視鏡を応用して、雑誌の袋とじを専用モニターで見るグッズ
→型落ちの内視鏡を買ってきて、袋とじの中をのぞく
(ものすごい高価なシロモノになります)

――袋とじをあけることに執着し過ぎですね(涙)

3、犬(猫でも可)にモップ型の服を着させて、室内を走り回らせて掃除する「ル・ル・ルンバ」
(動物虐待の恐れあり、あとネーミングが安直)

4、電車のホームの黄色い線に「一線を越えないでください」という注意書きを据え付けて、
注意喚起を狙う「今井議員専用乗降口」
20170810一線.jpg
(もはや、創意工夫でもなんでもありません)

その他、ジャンピングシューズとかもいいけど、それはドクター中松先生の領域ですからね。

昔読んだ発明図鑑には、道路に車を囲むように白線を備え付けた、
「どこでもパーキングメーター」っていうのがあったけど、
これを警視庁交通部に問い合わせたら「言語道断!道交法で検挙する」とのこと。
小市民のささやかな抵抗に対して、無粋な行政であります。

甥っ子1号には、常識にとらわれない創意工夫を目指してほしいなと思うので、
できるだけ酷いものを作ってほしいなと思うのです。
だいたい、選択肢のある設問なんて全く意味がないじゃない。
選択の幅を超越した方が、圧倒的に面白いんだから。

ということで、お盆に沖縄旅行に行く甥っ子1号は、
出品作品ができたら、真っ先に私に持ってくるように。
誉めて伸びるタイプの彼ですから、よりアナーキーな作品になるような導きを施したいと思います。

史上初の、学校現場から「おじさん呼び出し」がかかったらどうしよう(汗)


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プール奇譚 [間接的に考える]

プール奇譚

台風5号の直撃を免れて、ちょこっと安心の式守錦太夫です。
西寄りの進路を取ったので、首都圏をかすめはしませんでしたが、
そのかわり、信越から北陸は大変だったようです。

今週は遅番やら連休やらが挟まっているので、遊べる日がきのうの月曜日しかなく、
たまたまあいていた飲み仲間さんと、北千住春日部飲みツアーを敢行してきました。
まあその話は後日に書くことになるのですが、
北千住での待ち合わせに、多少早く着いちゃったので、
足立区の公共施設が、北千住の駅周辺のどこにあるのかなと調べてみたところ、
駅チカに、公共の屋内プールがあるのを見つけました。
20170808スイミー.jpg
(スイミーっていうらしいです)

いいなぁ――と思うのですが、そういえば泳ぐっていうことを、いつ以来していないかなと考えてみました。
プールは20代で行かなくなり、海水浴も20代半ばが最後。
タンスの中には、当時の水着が入っていますが、着られるのかどうかも不明。
こうなると、四半世紀近く、泳いでいないことに気がつきました。

一応泳ぐことはできたはずだし、学生の頃は学校の水泳強化指定選手になったこともあります。
でも、スズメ100まで踊りを忘れずとはいうものの、
体型も肺活量も、当時と雲泥の劣化具合からすると、
泳げるというよりも「泳げたはず」というのが、正しい経歴かもしれません。

いまは、近隣の公共施設でも、例えばごみ焼却場に併設しているプールや、
ホテルのプールなど、いくらでもあると思うし、泳ぐことも可能なはず。
でも、フラッと私(46歳)が泳ぎに行ったら、
良くて通報、運が悪ければ検挙されてしまうこと必至の情勢(涙)
こうなると、やっぱりおいそれとはいけないなあって思います。

だから、せめて近場だと知り合いに会っちゃったりする可能性を考慮して、
ぜんぜん自分のテリトリーではない、北千住の公共施設だったら、
ヘンな心配をしなくてもいいのかなと思ったりしました。

でもなあ、いまさらこの堕落しきった体型を人さまに露わにするのも気が引けるし、
だいたい、コンタクトレンズを日常装着してから、プールに入ったことないので、
どうすればいいのか皆目見当がつかないですね。
――ということで、なんか躊躇しております。

小学校などのプールには、コンクリートでできた腰洗い漕が、冷たい水と塩素で満たされて、
なんかみんなでカウントダウンしながら入ったり、
水道の蛇口が上向きになっていて、両目を洗う特殊なシャワーみたいなのがあったり、
女子が「からだの具合できょうは見学です」とか言って、プールサイドで体育座りをしていたり、
まあ、なんかそういう頃を思い出します。
プールの時間の次の授業は、まったく内容が頭に入らなかったっけなあ。

私の通った高校にはプールがなかったので、水泳の授業と言うと中学校までだったのですが、
なんか楽しかったなあっていう思い出はありますね。

この前、アド街ック天国で「鵠沼海岸」をやっていて、
お笑い芸人のほんこんさんが、45歳からサーフィンを復活したと言っていたのを見て、
なんか自分も、マリンスポーツじゃないけどこの歳から、
泳ぐっていうことを復活してもいいかなと一瞬思いました。
なんか、あのブサイクなほんこんさんが、カッコよかったんだよね。

最大の問題は、私が泳いでいた頃に比べて、
段違いに水着の肌の露出が増えてしまったこと。
スケベ根性との大いなる葛藤が、
私の前に大きく立ちはだかるハードルになっているかもしれません(爆)
煩悩をある程度、抑え込まないと、「良くて通報、悪くて検挙」になってしまいそうですからね。





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隣にいて嫌われたくない症候群 [間接的に考える]

隣にいて嫌われたくない症候群

きょうから8月になりまして、多忙月間が終了した式守錦太夫です。
7月はなんだかんだと忙しかったですね。
きのうは東京ドームにプロ野球を見に行ってきたのですが、信じられないほどのいい座席。
そして、ソフトバンクホークスが勝ちまして、私の野球観戦連敗記録は6でストップしました。
もっとも、ソフトバンクファンということではないのですけど、まあ「鷹の祭典」でしたので・・。
一番感動したのは、始球式が桐谷美玲だったこと。
IMG_6169.JPG
IMG_6166.JPG
この日ばかりは、エスコートする球審になりたかった(笑)

ちなみにオーナーの孫正義社長も来ていた。
IMG_6187.JPG
孫さんに似ていると言われ続けている式守、他人のような気がしませんでした(爆)

プロ野球観戦の話はかなり後日にアップの予定です。

先日とあるバーに行ってきたのですが、たまに寄るお店で、長いカウンターがあります。
おそらくは12~3名くらいが並べるくらいのカウンター。
伺った日はそれなりにお客さんが入っていたのですが、
皆さんがお一人さまだったので、端っこから1つおきにお客さんが入っていた次第。
そこに私が入ったので、1つおきの体裁が壊れ、両サイドにお客さんがいる状況になりました。

別に私は隣の人をあまり気にせず、酒を飲めるタイプなのでまったく構いませんし、
そのことでなにかトラブったというわけではありません。
私の右隣は、カウンターの一番奥になり、おそらく初めてこちらのバーに入ったとおぼしき、
私よりも少し若い感じの男性。
そして私の左隣は、20代前半のきゃしゃな雰囲気の女性。
おそらく、こちらには何度も通うお客さんで、お店の人も顔見知りっていう感じでした。

これが一杯飲み屋さんだと、袖すりあうも多生の縁とばかり、交流が始まっちゃいそうですが、
私が伺ったのは、ある程度キチンとしたバー。
ゆえに、隣同士で会話が始まっちゃうようなことはありません。
あくまで、酒とバーテンダーさんに正対するための空間であります。
そのこと自体は私はまったく苦痛ではありません。

2杯目を飲んでいる時に、左隣りの女性のお客さんが、
逆の奥にいるお客さんと知り合いだということになり、
そこの隣の座席が空いたので、席の移動をしました。
これも、バーテンダーさんに促されての移動ゆえ、バーの礼節としてはなにも問題ありません。
私の左横に2つの空いた席ができて、わたしと右側の男性のお客さんと横並びになりました。
長いカウンターからすると、中央に空きができて、端っこに男性が2人並んで座っていることになります。

たまたま右隣のお客さんがトイレに立った時に、
バーテンダーさんが「お席を広く使っていただいて構いませんので、ずれたらいかがでしょうか」と言ってくれました。
たしかに、いびつな横並びよりもゆったり座った方が楽だと思い、その提案に従って、
私は1つ横にずれたのですが、そのいきさつが、右横の人がトイレに立っている間の出来事。
戻ってきたときに、私が1個横にずれているのですが、バーテンダーさんからはそのいきさつの説明はありませんでした。
別にいきさつを説明しなければならないというわけでもないのですが・・。

トイレに立っている間に、すぐ隣にいたお客さん(私のこと)が、
戻ってきたときに1つずれていると、そのお客さんはこう思うんじゃないかなという疑念に駆られました。

「自分の横にいるのが苦痛だったのかな?この人・・」

そう思われたくなくって、経緯を私が説明するのもなんか野暮ったらしいし、
逆に説明したって、ちっとも気にしていなかったら取り越し苦労だし。
しばらくしてそのお客さんは先に帰っていきましたが、ヘンに不快に思っていないかしらって、
余計な気をもんでしまいました。

電車の座席でもあるんですよ、同様のことが。
たまたま横並びで数名が座っていた時に、
前の座席、それも端っこに座っていた人がスッと立って駅に降りていきました。
すかさず、私がそこに移動したいと思うんだけど、
それをやると、もともとの隣にかけていた人が
「オレの横が嫌で移ったのかな?この人・・」って思われたくなくって、
結局狭いシートに座り続けるということもあります。

そこまで気を回さなくてもいいと思うのですが、
これが逆にステキな女性に「同じことをされた」ら、
被害妄想に陥りそうで、なんか嫌なんですよね。

電車のように乗降自由な空間だったら、
そういう雰囲気を嫌うならこの際、その車輌から降りちゃうという選択肢もありますが、
バーというある意味密閉された空間では、そう簡単に逃げられません。
だから、なんか気をもんでしまうのは、神経質だと言われるAB型の特性なのでしょうかね。

演奏会なんかで、休憩前まで隣にいたお客さんが、
休憩後に戻ってこなかったりすると、なんか私が不貞をしちゃったかなと思う性格。
美術館などで、ほぼ同じペースで見学をする赤の他人がいると、
私と同じだとウザいかなと、あえて順路をすっ飛ばして見たりするのも同様です。
そこまで他人に頓着するわけではないのですが、
一緒の空間が嫌だと思われたくない症候群なのかもしれません。

でも逆もあって、相撲好きの人とああでもないこうでもないと一緒に観戦していると、
あとで周囲の人から「おもしろい解説ありがとうございました」って握手を求められることもある。
あながち、嫌われていない自信はあるんだけど、
だからと言って好かれている自信もないので、この塩梅が難しいことなのであります。

他の馬の存在に対して過敏な競走馬に、ブリンカーと呼ぶ遮眼帯を施すことがあります。
ブリンカー装着の馬は、競馬新聞に「マルB」の印が打たれますが、
私もブリンカー装着の時には、弊ブログ記事にBマークを打っておこうかな(笑)

結構私、「気にしい」なんです。

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「みうらじゅん」と「母」と「洗濯ばさみ」 [間接的に考える]

「みうらじゅん」と「母」と「洗濯ばさみ」

落語の「三題噺」で最も有名なものと言えば、芝浜でしょう。
三遊亭圓朝の代表作、芝の浜、財布、酔っ払いを元に、
歳末の寄席を今や完全に席巻してやまない名作になりました。

それに比べてしまったら、あまりの格の違いに慄然としてしまうのですが、
まあ式守版の三題噺だと思ってください。
ただし事実は小説より奇なり、この話はめでたく本当の出来事であります。

良く言えば、物を長い間丁寧に使い続けることに長けているのが、式守の性格であります。
悪く言えば、捨てられない症候群なんですけどね(笑)
20年落ちのマニュアルカーに乗り、スキー板も四半世紀前のものを使い、
不便を愚直に楽しんでいる結果、人間も古くなってしまいました。
これは突然変異でできたものではなく、やはり人格の形成において「環境」と「教育」は重要ですね。

私の母(71)は、私の上を行くほどの、捨てられない性格。
私がやっとの思いで捨てたものを、拾ってまた使うお人です。
彼女曰く「使えるものを捨てる理由がわからない」とのこと。
経年劣化に対する思想が、極端な性善説に満ちているので、
「まだ何かに使えるんじゃないか」ということは、
もはや仏教でいうところの「ご慈悲」の領域であり、
ヨガにおけるサマディ(三昧)の境地であります。

先日、NHKの「笑う洋楽展」のオープニングのトークでの出来事。
MCのみうらじゅん先生の、他愛のない話ではじまるのですが、
20170727みうらじゅん.jpg
そのトークが「洗濯ハンガーについている洗濯バサミは、対になっているものだけど、
これが経年劣化で折れちゃうと、何の役にも立たない」っていう話でした。
20170727洗濯ハンガー.jpg
――まあこういうオープニングで、横にいる安齋肇(ソラミミスト)が
「ひひひ」と笑うだけのものなのですけどね。
彼が主張するところとしては、対になっている洗濯バサミの片方が割れてしまったら、
その存在価値は著しく低下するけど、それをただちに補修しようと思うわけでもなく、
壊れたままで放置しておき、次回また使うときに「あ、ここは壊れているんだ」という堂々巡りをしてしまうということ。

おそらくどこの家にもある洗濯ハンガーですので、
この経年劣化については、皆さん経験があることでしょう。
そして、この「なんともしがたいなあ」ということは、ふむふむという感じだと思います。

そして我が家でも同様にして、この洗濯ハンガーの劣化が著しく、
もはや全体の5分の3くらいの洗濯バサミが折れてしまっている状態。
通常ならばここまで使うと、さっさと処分して新たなものを買ってくると思うのであります。

みうらじゅんもこのように言っていたことだし、うちのもひどい状態だし、
じゃあ新しいのを買ってこようかなと母親に具申したところ、
「昨日なおしたよ」とさらりと一言。
あろうことか、その壊れていた洗濯バサミに、
新しい洗濯バサミをわざわざ紐で補強して追加して修繕しておりました。
え、まだ使うの?と聞くと、序盤に書いた「使えるものを捨てる意味が解らない」とのこと。
この言葉は偉大です。
モーゼの十戒だったら、海に道ができます(笑)

ということで、ただでさえボロボロでパイプ自体も折れている箇所が散見されるのに、
めでたく修繕しちゃったおかげで、なお洗濯ハンガーの機能が復帰したので、
買い替えはまたの機会になりました。

仏教に目覚めたみうらじゅん先生の上を行ってしまった私の母は、
もはや仏教的に「徳が高」くなってしまったかのよう。
でもこれを特別なことだと思わず「普段の行い」として、さらりとやってしまうあたりが、
懐が深いというか、爪に火を灯しているというか、紙一重なのであります。

ということで、我が家の洗濯ハンガーは他人に見せられるシロモノではもはやなくなってしまいまして、
人目を気にしてベランダの奥でひっそりときょうも、風に揺られております。
物を大事にすることはいいことだという教えを忠実に守っている母は、
おそらくは人の教えに逆らわずに生きられるお人でありますが、
経済の活性化を第一にする昨今の経済情勢の中では「売国奴」なのかもしれません。

案外、サブカルチャーと質素倹約は、根底では同じ穴のムジナなのでしょうか(笑)
2人を対談させてみたいなあって思います、きっと話はつまらないだろうけど。




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碧山が準優勝した大相撲名古屋場所 [間接的に考える]

碧山が準優勝した大相撲名古屋場所
 
きょうも都市対抗野球を観戦に行く、式守錦太夫です。
準決勝が2試合あるんだけど、その第1試合を見に行きます。
対戦カードは、東京都・NTT東日本と、川崎市・東芝という強豪対決。
どっちも何の縁もないんだけど、東芝が企業業績の影響で今後の活動が不透明なので、
なんか肩入れしたくなるチームであります。
その後、同行者と一緒に、茅場町から八丁堀の酒場めぐりを敢行の予定。
きょうも酒浸りの日になりそうです。

昨日で大相撲名古屋場所は終わりまして、白鵬の39回目の優勝でした。
場所中に、幕内勝ち星記録の過去2位の千代の富士(1045勝)と、
1位の魁皇(1047勝)を越しましたが、予定だったらこの前の5月場所に塗り替える予定だったんだよね。
(その前の場所で、休場がありましたから)
ともに大力士の記録を越し、日本国籍取得という一部報道も出まして、
今後の親方襲名が俄然、現実味を帯びてきました。

もっとも、あと数年は白鵬の現役生活が続きそうな雰囲気ゆえ、
親方になるのはまだ先だと思いますけど。

実は今場所、後半からまだよくチェックできていません。
というのも、やっぱりお祭りと都市対抗野球とのかぶりはいかんともしがたく、
ダイジェストがたまっている事態。
なんとか今週中にキャッチアップしていきたいと思っています。

しかし、平幕の碧山が存在感を示したのは、個人的に本当に嬉しい話題でした。
20170723碧山.gif
千秋楽も勝ち、結びの白鵬が仮に負けたら、13勝同士の優勝決定戦にもつれる展開。
敢闘賞を受賞し、優勝したらの条件付きで殊勲賞も受賞できたかもというのは、
いまは平幕にいますが、元三役経験者として、立派なことであります。

ブルガリア出身の碧山は、巨漢力士で色白、顔だちは完全に東欧系。
勝っても負けても、表情を変えないお相撲さんですし、
典型的な押し相撲を得意としていて、技には華は少ないかもしれません
正直、大勢いる力士の中ではあまり人気がありません。
でも私は、彼の人柄が大好きなのであります。

千秋楽で自分が勝ち、決定戦を待つまで、東の支度部屋で待機している碧山が、
中継の最中、何度も抜かれていました。
白鵬が勝って決定戦が無くなった瞬間の、ふとため息をついた碧山がなんとも愛おしかった。
でも堂々の準優勝は、彼のひたむきな土俵生活へのご褒美だと思います。

私が伝え聞いた、碧山関のエピソードをきょうは紹介します。
実はこの話、過去にも書いた記憶があります。
でも、この話を聞いてくれたみんなが、碧山のファンになっちゃいました。
それくらい、いいやつなんです。

現在は春日野部屋に所属している碧山ですが、
入門時から入幕までは、田子の浦部屋に所属していました。
田子の浦部屋といっても、稀勢の里や高安が所属している「現在の」田子の浦部屋ではありません。
(ややこしい話ですが、現・田子の浦部屋は以前の鳴門部屋です
先代の鳴門親方の遺族と現親方に齟齬があり、空き名跡だった田子の浦を襲名したという経緯があります)

当時の田子の浦部屋は、元前頭筆頭の久島海である、先代の田子の浦親方が指導していました。
田子の浦親方は、料理にも一家言あるグルメとしても有名でした。
おかみさんと二人三脚、部屋所属の力士は多くはなかったものの、
アットホームな相撲部屋でした。
親方夫婦に子どもはなく、まさに部屋の力士は親方夫婦の子どものように愛され、
力士ともまた、親同然のつき合いをしていたのであります。

ところがある日、朝一緒にちゃんこを囲んでいた親方が、その日の午後に急逝。
ただ慟哭するおかみさんのそばで、実の父親が亡くなったかのように、泣き崩れる力士たち。
部屋頭だった碧山は、葬儀を取り仕切るために奔走しましたが、心のうちにこう決めていました。

親方のいない相撲は考えられない、いっそ引退しよう。

葬儀が終わり、部屋に他の親方がいない田子の浦部屋は閉鎖されることになりました。
残った力士は、同門の春日野部屋に転籍の手続きが取られました。
部屋の片づけをおかみさんと一緒にしていた碧山は、おかみさんに引退することを告げました。

するとおかみさんは、烈火のごとく怒りました。
亡き親方の厳しい稽古を、無にしてはいけないと。
春日野部屋は力士も多いけど、きっと中での競争に勝てるから頑張りなさいと。
日本のオヤジは急逝してしまったけど、自分には日本の母親がまだいると思い、
引退を翻し、春日野部屋に転籍したのであります。

でも心優しい碧山は、初の三役になった時も、
「今の親方と先代の親方、いまのおかみさんと先代のおかみさんに報いるように頑張りたい」とコメント。
実は先代の親方は、いつか碧山の故郷・ブルガリアに行きたいと常々言っていたそう。
その想いは叶わなかったけど、先代のおかみさんと一緒にブルガリアに里帰りしたそうです。
そして、おかみさんたっての希望で、先代の親方の遺骨の一部を、
ブルガリアの海に散骨したとのこと。
名実ともに、碧山と先代の親方夫婦が、通じ合った瞬間でした。

見た目は東欧系で、シロクマのような雰囲気の碧山。
でも心は、純朴な外国人であると同時に、粋な日本人なのです。
こんなエピソードを持つとは、微塵も見せません。
それをあえて公言するわけでもなし。
淡々と粛々と、日々の一番をこなす碧山には、ステキなバックボーンがあるのです。

きのうの三賞受賞インタビューで、最近結婚した奥さんのことを聞かれていましたが、
私がインタビュアーだったら、先代の親方の話を聞いただろうな。
碧山の眼が、一瞬変わっただろうな。
そんなことを思いながら、きのうの千秋楽を見ていました。

幕内の土俵入りのとき、人気力士には大声援が飛びますが、碧山の時はひっそりしています。
でも、少なくとも私たち、一緒に見ている仲間たちは、やんやの喝采です。
こんなステキな外国人力士、心から応援したいじゃん!

私は日本人力士だからとか、外国人力士だからとか、そんな感情はまったくありません。
気は優しくて力持ち――の「お相撲さん」に、目の色とか肌の色とか、そんなものは関係ないんだもの。

タグ:相撲
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都市対抗野球という野球大会について [間接的に考える]

都市対抗野球という野球大会について

きのうも都市対抗野球を見に行っていましたが、きょうも見に行く予定の式守錦太夫です。
もはや、都市対抗は私の中では、このイヴェントなしでは夏が始まりません!
以前は8月終盤にやっていたので「残暑の乱痴気騒ぎ」だと思っていましたが、
いまはプロ野球のオールスターの時期から12日間になりました。
これがまた素晴らしいことに、私の爆裂日程から少しだけずれたので、
際限なく見に行ける始末(笑)
でも社会人野球の最高峰を無料で見られて、ビールも飲めるなんてそうそうないもの。
調べてみたら、昨年までの14年間で35試合を見ています(笑)
これだもの、ほとんどの社会人チームの応援グッズが揃っちゃうはずです。
家にあるうちわは、ほとんどそれでもらってきたグッズですから。

以前も書いたことがありますが、なぜ都市対抗野球にハマったのか。
それは、いまから17~8年くらい前の、北千住の大はしさんでのことです。
その当時、大はしさんは立て替える前の昔の建物。
いまのように、若いお客さんがグループで来るお店じゃなく、
女性なんて、1日で一人来るかどうかでした。
まだ、地元の年配の男性、それもほぼお一人さま。
そんな無骨なお店だったころから、私は通っています。

そこでのお客さん同士の話題で、野球を見に行っていた人のネタになりました。
私はそこに口を挟むほどじゃなかったので、耳に入ってきたお話。
(酒場ではよくあることです、他人の話を聞くともなく入ってくることって)
「今日の東京ガスはさあ・・」という手には、東京ガスのうちわ。
当時、ノンプロのことはまったく無知だった私。
東京ガスの野球と聞いて、なんか練習試合でも見たのかなと思っていました。
そしたらどうも、公式戦で相当面白い試合だったみたい。
でも、テレビじゃやらないし、社会人野球って面白いのかなっていうレベルでした。

それから何年かたって、当時の飲み仲間と、じゃあ一度行ってみようかということになり、
せっかくだから、地元チームの応援じゃっ!ということで、さいたま市の日本通運を応援に行ってきました。
バブルのころを想起する、会社主体の応援が、異様な熱気に包まれる東京ドーム。
そしてなにより、野球を見ているんだか見ていないんだかわからない周囲と、
一戦必勝のトーナメントを繰り広げる選手たちの大いなるギャップ。
プロ野球はその試合が終わっても、ペナントレース中は次がありますが、
なにせトーナメントゆえ、負けたら終わりですから、
投手もふんだんに起用します。
その一生懸命さは、私をすっかり魅了されるようになりました。

飲み仲間とは一緒に5~6年くらい見に行っていたなあ。
昼の試合を飲みながら見て、そのあと立ち飲み屋で飲んで、
夜の試合を飲みつつ見て、その後にまた飲みに行っちゃう。
そんな繰り返しで、野球を見る目も肥えましたし、肝臓も鍛えられました(笑)
野村監督率いるシダックス(東京都)も見ましたし、
長野選手がいたホンダ狭山、JRや新日鉄など地域分社したチームはほぼ全チーム見ています。
三菱グループの社歌も歌えます(笑)

震災後の日本製紙石巻や、熊本地震直後のホンダ大津には、心から応援したし、
初出場のチームにもさかんにエールを送り、クラブチームの悲哀を感じているNTT信越や、
社業と野球を両立させるとした、熊本ゴールデンラークスなど、
どちらかというと弱そうなチームに、積極的に肩入れしました。
都市対抗野球のいいところは、その瞬間、その応援したいチームに、
ふと肩入れして応援できることです。
プロ野球だと嗜好が出ちゃいますが、社会人にはありませんものね。
動員力のある近場の大手企業よりも、遠方の小さな規模のチームがいい。
そんな判官びいきゆえ、観戦した試合の勝率は低いですが、
なんかいいなあって、いつも思うのであります。

この15年の間に、いろいろな仲間たちと一緒に行きましたが、
大変うれしいことに、誘ったみんなが面白かったと言ってくれるのです。
そして、来年はいつ?って聞いてくれます。
最初に行っていた飲み仲間とは疎遠になっちゃったけど、
そのあと一緒に行っている人とは、もはや10年来。
そして今年、新たな仲間をお誘いしております。
またファンになってくれたらいいな。

今年はちょこっと驚くことがありまして、
地元に2年前にできた「オールフロンティア」(春日部市)というチームが、
まさかの、南関東代表決定戦に出場。
第1代表決定戦で、日通埼玉に惜敗し、
第2代表決定戦で、ホンダ狭山に負けまして、惜しくも本大会に出られませんでした。
元新日鉄君津のかずさマジックとか、千葉市のJFE東日本を破る快挙だったのですが、
南関東の出場枠が1つ少なくなったのも原因かと思います。

もしオールフロンティアが初出場していたら、どんな日程だろうが応援に行っちゃっただろうな。
来年以降、とても楽しみであります。

高校野球もいいですが、社会人野球もひたむきさでは負けていません。
そして一応、都市を代表しての出場ゆえ、地域性もスタンドに見えます。
応援も然り、伝統芸能も楽しめます。
なんか、物産展みたいな社会人野球の最高峰、都市対抗野球は、
来週の火曜日まで連日開催です。
20170718都市対抗野球2.png
チケットなんかなくても、東京ドームに行けば、いつの間にかタダで入れます(笑)
ぜひ見に行ってみてください!

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海への思いを少しだけ [間接的に考える]

海への思いを少しだけ

おととい、きのうと地元の夏祭りではじけた、式守錦太夫です。
といっても、この記事は祭り前に書いたもの。
どう考えても、祭りの最中に執筆、アップできるものではありませんからね。
毎年、いろいろな事件が発生するのですが、
そのことはおいおい、順序良く記事化していきたいと思います。
古い友人、久々に会う知人など、祭りじゃないと会えない人も多いので、
いろいろな刺激を受けてきて、きょうは筋肉痛と、
日ごろ太陽の光にあたっていないゆえの、日焼けに悩まされていると思われます。

きょうは世間は3連休、そして海の日という祝日であります。
祝日法の中では新興勢力的な位置づけの日。
つまり、新しくできた祝日であります。
「海の日」ということで、私の海の思い出から。

海なし県の埼玉県に生まれて育った私にとって、海という存在は非日常でした。
大きな川のほとりで育ったので、水辺というとイコール「川」と答えていた日々。
川に対する親しみも畏敬の念も強いものの、
海というのは、年に1回あるかないかの旅行で行く場所でした。

両親は自営業でしたので、家族旅行と言えば年に1回、
それもポンコツ車に乗っての宿泊旅行くらい。
たいていは海沿いに行くか、山沿いに行くかでありました。
家族で海辺の民宿に泊まり、海水浴をする。
花火をし、貝殻を拾う。
たったそれだけのことで、私を含めた兄弟たちは声を枯らして楽しんだものでした。

物心がついて、家族旅行以外で海に行くのは、もっぱら仲間たちと。
でも、それもせいぜい年に1回程度。
泳ぐのはキライじゃないし、波の音に身を浸すのはむしろ好き。
しかしその海にわざわざ行こうとは、あまり思わなかった日々でありました。

テトラポットが埋め尽くした、漁港の岸壁。
潮の匂いが充満した砂浜沿いの干物屋さん。
照りつける容赦ない太陽に焼けた、護岸のアスファルト。
夜通し聞こえる、寄せては引く波の音。
遠くに見ることができる、灯台の灯り。
――そのいずれもが、私の原風景にはありません。
非日常であり、特別な1ページだったのであります。

だからでしょうか、40代になって6年、おそらく海には一度も行っていないんじゃないかな。
もしかしたら、30代の頃もほとんど行っていないと思います。
行って楽しくないとは言いませんが。

だからでしょうか、武蔵野線で西船橋の先、工場エリアに差しかかると見える、
東京湾が見えるあたりになると、ちょっと精神が高揚します。
それは、新橋からゆりかもめに乗って有明に行くときも同様。
東京湾とはいえ、れっきとした海を期せず見える場所になると、
電車の窓越しに、精一杯の海の要素を受け入れようとします。
無いものねだりとは良く言ったものですが、
自分にはかけらもない、海へのあこがれが、にょきにょきと垣間見える瞬間。
「なんでこんな気持ちになるんだろう」って思います。

川幅の広い河川を見た時や、悠久の静かな湖を見た時も高揚しますが、
そのときの高揚感は、慣れ親しんだものへの回帰の気持ち。
海を見た時のそれとは、たぶん違うんだと思います。

そのかわり、海が近づくにしたがって、あちこちから匂い出す、
独特の潮の香りには、鋭敏な嗅覚が備わりました。
どんな川にも、どんな湖にもない、むせるような匂い。
おそらくは、海からの直接の香りの他に、
すでに土着した、街に染み付く匂いを嗅ぎ分けることができます。
20170714護岸.jpg

だから、私にとって海への思いは、視覚ではなく聴覚でもなく、
圧倒的な嗅覚での結び付きなのです。

同じことは、雪の降る地域でもそう。
スキーが好きで、雪山に行くと、周囲に音を吸着するべき雪があります。
だから、さまざまな喧騒を一切感じなくなる「無音」を聴覚に感じます。
寒さではなく、その限りなく少ない音の世界が、私の中での雪の原風景。
――なんか不思議ですね、五感のいずれかが、その場所とリンクするなんて。

こんなことを書いていたら、久々に海に行ってみたくなりました。
でも、夏の海はあまり好きじゃありません。
若いころと違って、人の多い場所にはちょこっと距離を置きたくなっています。
秋が深まろうとしている時期に、ひょっこり海に行けたらいいな。
なにをするわけでもなく、ただ半日くらい、ぼーっとしに行くってすごく憧れます。

私にとっての「海の日」は、もうちょっとあとになってからかもしれません。



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天下ってなんだ [間接的に考える]

天下ってなんだ

先日、ほぼ数か月ぶりに早く寝まして、気分爽快の式守錦太夫です。
遅くまで仕事はあったのですが、夜にとりあえず何もやることがなかった。
(というか、喫緊にやらなければいけないことがなかった)
だから、普通に流れていたテレビを見ながらほぼ1時間、ボッとしておりました。
そして、早めの就寝で一度に7時間超も寝るのは本当に久しぶり。
おかげで、何度も目が覚めちゃいましたが、
まだ寝ていていいんだという時間は至福に感じますね。

新聞などを見ると、まあ長く為政者をやっている人には、いろいろな問題が出てきているようで、
なんとか学園(ハレンチ学園じゃありません)というところの疑惑について爆弾会見をした、
元官僚のトップがいるようであります。
で、官邸をあげて否定している中で、
読売新聞がその元官僚の「出会い系なんとか」に出入りしているという特報を書きました。
なにをどう考えても、特報というよりは官邸サイドからの「リーク」でしょう。
こうして、真実をうやむやにする有象無象が出てくるのが常な世の中であります。

とあるネット系の記事を見ていると、この読売リークに関して、
「その昔はこの手の下半身ネタを書くのは週刊誌と決まっていたが、
最近では『天下』の読売が書くようになった」とありました。
そこで、ハタと思った次第。
『天下の読売』って、そんなに読売新聞って
この国のリーディングオピニオン誌だったっけかなって。
まあ、ABC協会の発表では、国内での発行部数は一番のようですけどね。

以前、地方の旅館で、ロビーに新聞の朝刊が読めるスペースがあって、
宿泊者がフロントの人になんか文句を言っていたんだけど、
その内容が「天下の朝日新聞がないとは何事だ!」っていうことでした。
たしかに、朝日系の思想を持った人にとっては「天下の」なんだろうけど、
別に朝日新聞を1日読まなかったとしても、そんなに個人的な問題はありません。

むしろ、その地方に行かないと読めない地方紙を読むほうがずっと楽しいですよね。
地方から送られてくる物品が地方紙で包まれていたりすると、
その物品よりも地方紙を先に手に取ってしまう性分。
全国紙なんてどこも似たことを書いていますが、地方紙ならではの良さもあったりします。

天下の――っていう人って、なんか排他的な感じがしてどうにも好きになれません。
言っていい人は、天下一品ラーメンか、いなかっぺ大将だけだと思います(笑)
(「てんてん 天下のっ いなか~っぺ」って歌ありましたよね)

読売が、朝日がという前に、じゃあゴシップ的な扱いをされた週刊誌。
その週刊誌ではこれまた、醜聞記事のやり取りが出ています。
週刊新潮の電車の中づり広告を、同じ木曜日発売の週刊文春が事前に手に入れ、
スクープつぶしを組織的にやっているというもの。
これについては、全国紙ですら記事化して報じました。

でも、こんなことはいつの時代もどこのメディアもやってきたこと。
スパイ的な社員や、その昔は活字をひろう文選工が情報を流したりした時代もありました。
そんなに目くじらを立てることかねって思ったのが正直な話。

いいかどうかは別として、ではそれを対岸の火事として報じた全国紙ですが、
このスクープつぶしをされないために、おかしな協定を組んでいるのをご存知でしょうか。
実は全国紙は、朝刊と夕刊の最終版には、
降坂(紙面が編集局の手を離れ、工務局に移ること)の締め切り時間を協定で結んでいます。
降坂時間を過ぎると、記事をいじることができなくなります。
突発的な事件などで、この降坂時間を繰り下げるときは、全新聞社の同意が必要で、
一社でも反対したら、解除できないのです。

たしかに、この協定があれば無用の競争を避けることができます。
例えばお隣の韓国のスポーツ紙はこの協定がないので、
最終版以降にも小刻みに紙面を変えて、
最終的には本社周辺の駅売りだけ500部刷ったなどをしているようですけどね。

その降坂協定のおかげで、実は多少遠方にいる読者にとっては不利益があります。
例えばどこかの新聞社の特報(スクープ)ネタがあるときに、
早版では記事化せず、最終版まで待つというのが常態化しています。
というのも、早版で書いてしまったら、他社が追いかけ取材して記事化してしまい、
特報にならなくなってしまうから。
だから、最終版を読める地域(首都圏だと東京23区か神奈川一部)には特報が流れるけど、
それ以外の地域は半日から1日近く遅くなるというわけです。

自由競争と、早く知りたいという欲求、そして無用な競争の狭間で、
「天下」の全国紙も結託しているのですから、
なにゆえの「天下」なのかが分かりませんね。

「上から目線」っていう言葉も好きじゃないのですが、
天下を取ったみたいなものの表れである「天下の」を声高に唱えているのには、
なんか違うんじゃないのかなって思ったりします。
だったら、ウソでもいいから「しもじも」でいたいなあと。

そんな私は、天下国家を語るほどの器量もございませんので、
小市民の雑文を、今宵もちょみちょみ記していく所存であります。
あと、天下一品ラーメンはたまに食べると美味しい(爆)
20170603天一.jpg




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財布を置き忘れて、戻ってきた話 [間接的に考える]

財布を置き忘れて、戻ってきた話

きょうで5月も終わりますが、怒涛の日々だったなあと思い返す式守錦太夫です。
大型連休の思い出は、仕事と高崎に行けたことだけ。
その後、仕事が立て込んだ中での大相撲夏場所。
その勢いのまま、怒涛の千秋楽までの3日間観戦。
気がつけばそのいずれもが終わり、祭りの後のような心境であります。

今度、私の爆裂予定は7月。
おそらくは6月末から7月中旬までの仕事爆裂3週間と、
大相撲名古屋場所(地方場所は生観戦できません)。
地元春日部の夏祭りは、今年も副責任者です。
で、その7月中旬から12日間、真夏を彩る乱痴気騒ぎ「都市対抗野球」。
ひん死の日程が始まります。

ということで、エアポケットのような6月こそ、自分探しの時間に費やしたいなと思っています。


一昨日の話です。
大相撲ロスに陥っている中、まったく外に出ての用事がこなせなかった5月中の外用事を、
全部済ませようと、事細かにメモ書きして、出かけました。
銀行に行っての用事、郵便局、コンタクトレンズのケアグッズの購入など。
まあ、楽しいお買い物というのではなく、日々の必要なものを買い揃える日。

私は基本、普段あまり買い物をしないでも生活が成り立つので、
こういう外用事を、月に2回もあればなんとかなっちゃうのです。

で、郵便局に行ったときのこと。
局でのミッションは2つ。
まずは通常の窓口から入って、ATMでの入出金を行うことと、
裏側の局員通用口から入って、内部での用事。
時間的にはたいしたことはなく、用事を済ませてから、車に戻りました。

さあ、次の銀行に行くための準備と思ったら、あれ?自分の財布がないぞ!
局内に入ったときは、財布を使う必要がないから、じゃあATMに置いてきちゃったかな?

おそらくものの5分程度ですが、やっぱり不安になります。
お金はたいして入っていなかったんだけど(この日のいろいろな購入資金は、別財布だったので)、
免許証からカードからが一通り入っていますもの。

ATMに行くと、別のお客さんがいて、そこには財布がありません。
不安になって、窓口で先ほど財布を・・と言うと、
「式守さんですか?」(当然ながらここは本名)と逆に聞かれる。
窓口にすでに届いていて、忘れ物用の袋に入っている私の財布。

たった数分でも、安どの瞬間であります。
良かったなあ。

本人確認と、中身の確認をして、もらい下げをしてきました。
対応してくれた局員さんにはキチンと最敬礼、そして届けてくださった方を伺うと、
案内の局員さんだったとのことで、こちらにも謝辞を述べてきました。

職業柄、さまざまな方の落とし物・忘れ物を預かることが多いのですが、
ろくすっぽ挨拶をせずに行く人がどれほど多いかというのを実感する日々です。
中にはその落とし物でトラブルになる人もいるほど。
こちらは善意で行っている(と思っている)けど、それが当たり前だと思っている人が多いのが実情です。
別になにかを期待しているんじゃないけど、こちらは時間と手間を費やしているわけで、
それに対してのお礼の言葉があれば十分なんですけどね。

私は過去に、あまり大きな落とし物をしたことがありません。
病的なまでのAB型の特徴で、へたすると指差し確認してまで、
自分の持ち物には注意を払うから。
傘も、ここ10年で2本しかなくしていませんもの。
(ただしいずれも、酒に酔ってなくしましたが)

でも以前、神宮球場に向かう銀座線に乗っていたとき。
たまたま当時使っていたガラケーを、座っていた座席に置いてしまい、
そのまま降りてしまったことがあります。
球場に持ち込むフードなどを抱えていたので、注意力が散漫になったのでしょう。

電車を降りたときに、うしろにいたサラリーマンさんが声をかけてきました。
「ケータイ、落としましたよ!」
その方は、そのケータイを持って追いかけてきてくれたのです。
私、多少動転していて「ありがとうございます」と、普通にお礼を述べてしまったのですが、
その方は、そのまま次に来る電車の乗り場に並び直しました。

――つまり、自分が乗っている電車を降りて、私にケータイを届けてから、
後続の電車に乗り換えるという手間をかけてくれた人だったのです。

その勇気ある行動に対して、私は通り一遍の謝辞しかしなかったことに、
猛烈に後悔の念に駆られました。
もっときちんと、その人にお礼するべきだったんだな。

でも、それは都会の数十万人が行き交う人間交差点の片隅。
あっという間にそれは過ぎていく波のもくずになってしまいました。
もちろんどこの誰ともわかりませんし、また会ったからと言ってこの人だと特定できるはずもありません。

だからかな、それ以降は落し物があれば率先して届けたり、
落とし主が特定できるほど直後であれば、声をかけて渡してあげるようにしています。
善意のバトンリレーだと思っています。
あと最近は、背中に背負うリュックのチャックがあいていたりする人も多いので、
周囲に人が少なくなったのを見計らって、声をかけてあげます。
周りに人がいると、気恥ずかしいかなと思うから。

おそらくは、そういうことの巡り巡ってきたことが、
忘れた直後ということで、自分に財布が戻ってきたんだと思います。
だから、業務の延長で丁寧な処置をしてくださっていた、郵便局の局員さんには、
きちんとしたお礼をすることができました。
こちらもありがたかったけど、局員さんも気分が朗らかになってくれたら嬉しいですね。

でも、若干ショックだったことは、ATMの上に財布を置き忘れたという「事実」。
絶対にそういうことはしないだろうという、強固なAB型の性癖が、
いとも簡単に打ち破れた瞬間に対してです。
これが経年劣化というものなのか、はたまた血液型が変化し始めたのか(笑)
日々「指さし確認」をしないとだめかもしれません。

――ということで、6月は「指差し確認強化月間」としたいと思います(爆)
20170530指差し確認.jpg

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