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松本ビアフェスの開催を自粛要請した、松本市教委の対応を糾弾する! [考える]

松本ビアフェスの開催を自粛要請した、松本市教委の対応を糾弾する!


いつもの弊ブログの論調ではないかもしれませんが、とても憤ることがありまして、
読者の皆さまにあえて問題提起をしたいと思い、記事化しました。
文章における一切の責任は、私にあることをお伝えした上で、以下の記事をご覧ください。

事の発端は、29日朝に私のお知り合いであります、
酒文化研究所のY編集長がシェアしたフェイスブックの記事によるものです。
ここには、長野県松本市でクラフトビールを醸造している方の投稿がありました。
そして写真には、7月28日付信濃毎日新聞の記事が掲載されていました。
20170730信毎記事1.jpg

記事を以下に転記します。

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 松本市の松本城公園で2014年から毎年9月に開いてきた「ビアフェス信州クラフトビールフェスティバルin松本」の実行委員会が、公園を管理する市教委の「自粛」要請で今年の開催を断念したことが27日、分かった。市教委は、今春改正した公園の使用許可の運用を定める内規に基づき「飲酒を伴うイベントは、史跡の品格にふさわしくないと判断した」と説明。ただ、なぜ内規を改正したか明確に説明していない。実行委は「これまでトラブルもなかったのに、なぜ突然、使用を拒むのか」と戸惑っている。

 ビアフェス信州は、県内外の多彩なクラフトビール(地ビール)を、信州の食材を使った料理と共に味わえる催し。実行委は市内の飲食店や酒店の経営者、松本商工会議所などで構成する。国宝松本城と北アルプスを眺めながら飲食する趣向が観光客にも人気で、過去3回の開催で累計5万人以上を集めた。

 市教委の松本城管理事務所によると、市教委が4月1日付で内規を改正。「史跡松本城の品格にふさわしくないと判断する行為は認めない」などとする項目に追加する形で、「飲酒や酒類販売を伴うイベント」は「自粛を要請する」との項目を盛り込んだ。それでも使用許可の申請があった場合は、市教委が改めて認めるか判断するという。なぜこの時期に改正したかは説明していない。

 松本城公園で酒類を販売する催しは他に「信州・松本そば祭り」(松本市などでつくる実行委員会主催)もあるが、販売しないよう自粛を要請するという。城管理事務所の中嶋岳大所長は「イベントに観光振興や中心市街地活性化という意義があるのは理解するが、飲酒や酒類販売を伴う場合は松本城の品格にふさわしくないと市教委が判断したということ」とする。

 フェスは松本の秋の催しとして定着しつつあった。市内で飲食店を経営する実行委員の林幸一さん(49)は「松本城は史跡であるだけでなく、市民の憩いの場として親しまれてきた。その歴史を踏まえて、にぎわいを生み出したいという思いが認められないのは残念。毎年楽しみにしていた皆さんに申し訳ない」と肩を落とす。


(以上転記)
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この記事について、文中にも紹介されている林幸一さんのコメントが、FBにありました。

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新聞を読んで、涙が溢れてきました。

過去三回の開催で、なんのトラブルもなく、延べ5万人以上のお客様にお楽しみ頂き、今年の開催も心待ちにしてくださっていた沢山のお客様に対して申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうです。

「松本城公園の品格に飲酒はふさわしくない」という、開催させない理由には全く理解できないです。

今までご来場くださったお客様は、私たち実行委員会からの「お願いとご注意」の中でうたっている「松本城は国宝の史跡です。節度をもって飲酒をお楽しみください」というお願いに十二分に応えてくださっていたはずです。

新聞を読んで、決定を下した方々に頭にくるのかなぁ〜と思っていましたが、お客様とこれまで支えてくださったボランティアの皆さまや関係事業者の皆さまに対して、この訳のわからない理由での開催の自粛要請に応えれるしなかい状況に、ただただ虚しく悲しい気持ちでいっぱいです。

どう前向きに、シフトをチェンジしたら良いのか…どう元気を取り戻したら良いのか…(泣)

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記事を読み、林氏のコメントを見る限り、
松本城公園を管理する松本市教委の「飲酒行為は品格にふさわしくない」とする見解は、
飲酒を無二の趣味にしている私には到底、納得できるものではありませんでした。

飲酒に伴うさまざまな問題、例えば飲酒運転とか周囲への騒音、迷惑行為など、
そのどれもが、100%解決している社会ではないことは重々承知の上で、
でもその飲酒により生み出す、コミュニケーションやあすへの活力など、
効能もまた事実だと思うのであります。
それを「品格がない」とした市教委の見解は、志のある松本市民への侮辱どころか、
全国にいる飲酒愛好者への重大な挑戦的・挑発的行為だと思いました。

松本に限らず、全国で酒類を中心としたフェスを計画・実施している人々は、
十二分の配慮をして臨んでいます。
それは私も、茨城・笠間の磯蔵酒造さんでのイヴェントのヴォランティアとして関わる中で、
身をもって体感していることであります。
イヴェントの最中は、事故防止に目を光らせておりますので。
それでも事故が起きたりすれば、翌年には開催が危ぶまれることを承知しています。

記事によれば、松本ビアフェスは過去にトラブル等の報告はないとのこと。
突然の内規の変更で、開催ができなくなったようであります。
なにか政治的な背景を感じずにいられませんが。

私が主張したいことはたった2つです。

「酒を飲むことは悪いこと」という風潮を、変えてほしいということ。
そして、行政が必要を超える規制を市民に強いてほしくないこと。

世知辛い世の中、酒くらい飲まなきゃやっていられないということもあるじゃないですか。
そこに、お上の「すべからず」的な枠をつけてほしくないのです。
もっと堂々と、酒を愛して飲める環境を、みんなで汗をかいて作っていきたいのです。
それを松本市教委は「品格」という言葉を使って、頭ごなしに否定しました。
もはやこれは、暴挙であり愚挙であり、近代行政の為すことではありません。

「ことなかれ主義の際たるものだな」とか、
「教委には、下戸か酒乱しかいないんだろ」など、一部ネットでも盛り上がっていますが、
松本市のある居酒屋さんでは、憤ったあげくの皮肉で、
以下のようなポスターを店先に掲示したそうです。
20170730信毎記事2.jpg

教育県として、そして志の高い長野県民の良識は、そんなに低いものではなかったはず。
市教委には再考と猛省を求めていきたいと思います。

東日本大震災の直後に当時の石原都知事が、花見・宴会の自粛を主張し、
都内の公園にその旨を記した立て看板を設置しました。
私は当時の記事で、そのことを徹底的に糾弾しました。

2011年4月18日記事「季節の花を愛でる、誰になんと言われようとも」

お上が、私たちの内面を規制するようなことは、
法的にも歴史的にも受け入れられるものではありませんが、
それよりも何よりも、私は「生理的にイヤ」なんです。
イヤなものをキチンと主張して行かないと、この国はいつだって間違った方向に歩んで行ってしまう。
その反省の上に、国家としての戦後の営みがあったのではないでしょうか。

この問題、もっと大ごとになって大いに議論してほしく、
一地方の問題としてではなく、酒に関わる全ての人に考えてほしいと思いました。

現状の見解のままでしたら、長野県松本市は、
酒飲みを「品格のない人々」と定義したということになります。
私は品格が人よりもあるとは認識していませんが、
少なくとも、下品な人間だとは思っていません。
そういう、多くの小市民たちを敵に回すだけの確固たる思いがあるのだったら、
堂々と見解を変えずに、人々がそっぽを向くような教育行政をおやりなさい。

そのかわり、少なくとも私は、
長野県松本市を、品格のない行政区だと認識するだけですから。

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空虚な「あなた」の羅列と、許されない土壌 [考える]

空虚な「あなた」の羅列と、許されない土壌

例えば知り合いの葬儀に行ったとしよう。
葬儀会場に着いても、故人の名前はおろか、遺影すらなかったとしたら、かなり驚くと思う。
一体だれの葬儀なのか、何のための惜別の儀なのか、おおよそ見当がつかない。

昨年のきのう未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での
痛ましい事件が起きて、1年がたった。
いまだに初公判さえ行われていない異例の事態の中、
神奈川県などが主催した追悼式が行われ、祭壇に遺影も氏名もないままだったという。
20170727津久井やまゆり園.jpg
二次差別を防ぐ狙いがあるとのことだけれど、私には大きな違和感を覚えた。
この世に生を授かり、同じ国で生活を共にしていた人々が、
死ぬときにまで秘匿されなければならないほど、この国のモラルは低下してしまったのだろうか。
黒岩知事は、この事態について
「日本の現状では許される土壌にないと感じ、県独自では(オープンに)できなかった。
とても残念だ」と語ったという。

たしかに土壌が成熟していなければ、差別の拡大再生産をもたらすかもしれない。
でも、この事件の特異性をよりオブラートで包み隠してしまったら、
この手の犯罪が減ることなんてないのではないかと思った。
とても難しい兼ね合いかもしれないけれど・・。

黒岩知事は、聞き取り調査を経て、亡くなった19名の「エピソード」を発表した。

・新年会で和太鼓演奏を楽しんでいた、あなた
・風邪をひかないよう気をつけていた、あなた
・寒い冬のラーメンを楽しみにしていた、あなた
・家族と一緒においしそうにおすしを食べていた、あなた
・満開の桜の中で甘酒を楽しんでいた、あなた
・お天気が良い日の日なたぼっこが好きだった、あなた
・さくらんぼ狩りを楽しんでいた、あなた
・行事でご家族と一緒においしいお弁当を食べていた、あなた
・小学生と二人三脚をがんばった、あなた
・すてきな作品づくりをしていた、あなた
・お母様からすてきな水着をもらって喜んでいた、あなた
・とても我慢強くて笑顔がすてきな、あなた
・じゃがいも掘りをがんばっていた、あなた
・夜空を彩る花火を仲間と見上げていた、あなた
・盆踊りの炭坑節が好きだった、あなた
・家族からの誕生日プレゼントを楽しみにしていた、あなた
・お祭りの屋台が大好きだった、あなた
・大みそかの年越しソバを楽しみにしていた、あなた
・いつもご家族と新年を迎えていた、あなた


――「あなた」という二人称が空虚に見えてならなかった。
そこに、両親が大いなる希望を持って名づけた「名前」や、
生き生きと施設で楽しんでいた近影がせめてあれば、
これらの「エピソード」が躍動的に可視化され、
特異とされる事件の核心を私たちに刻む十分な情報になるのではないかと思った。
そして、この異例の配慮こそが、元職員の被告の狙い通りになっている気がしてならない。

被告が1年たっても、当時と同じ主張を繰り返しているという報道があった。
この事件は、特異で異常な性格の男がたまたま引き起こしたものではない。
どこでもだれでも、起こし巻き込まれるべき事件だという認識がなければ、
第二第三の蛮行が繰り返されてしまう。
とても厳しいけれど、そのためにも真相を明らかにすることしか、防御のすべはないと思う。

「あなた」が羅列された「エピソード」を前に、1年前に記した文章を思い返してみた。
私たち社会に突き付けられた刃(やいば)の、金属的な鋭さ、冷たさを改めて自問してみる。
1年たってもなお「許される土壌ではない」という社会の、冷酷なまでの遅さ。
そして、なにひとつ変わっていない、自分の中の砂を噛む不快な感触が最後まで残った。


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懸命の命と、心の闇
(2016年7月29日付記事)


ここ数日の記事を掲載しながら、
本当にこれでいいのかと自問自答しつつ、多忙にかまけて記事化しなかった出来事がある。
悔しくて辛くて憤ることがある。

26日未明、神奈川県相模原市で――と書きかけて、
おそらくすべての人々が思うあの出来事が。

2つのエピソードがある。
数年前、ある家族と一緒に食事をした。
昔から親交のある、とある障害を持つ娘さんとそのお母さんとだ。
十数年ぶりの再開、だから親交なんて言えるスパンを超越しているかもしれない。
でも、その当時は濃密な時間を過ごした記憶は、私はあるし、
相手も持ってくださっていると思う。
さまざまな話の中、いまも徒歩で自宅から、作業所に通って仕事をしているという話。
いやあ立派だねえ、雪の日も行ったの?などと、軽快な話に終始した。
自分の仕事の話になり、ふと
「いやあ、私の仕事を時給換算すると、最低賃金を大幅に下回るんですよね」と言ったとき、
彼女の母親がさりげなく、でも確固たる表情でこう言った。
「○○ちゃんの時給は、それよりもずっと低いんですよ――」

私は、とんでもないことを言ってしまったと、その発言を悔いた。
健常者、障害者という「区別」をする気は毛頭ないけど、
自分の心の奥底に、とんでもない差別をする思想があった。
彼女たちは表面上、私と一緒にいる時間を楽しんでくれているようだったけど、
私にとって痛恨の出来事で、どんな言い訳もできないと思った。

もう一つのエピソードは、まさに例の事件の直後の話である。
中1になった甥っ子1号が、学習塾から出された宿題を一緒にやっていた数日前。
国語で、ことわざの意味の理解という単元だった。
五十音順に「あ」からいろいろなことわざがあった。
「い」に入り、「犬も歩けば棒に当たる」「一寸先は闇」などの中で、
「一寸の虫にも五分の魂」ということわざの説明。
私はふと、そばにある、例の相模原の事件が掲載されている新聞記事を指して、
「ね、この事件で殺傷された人たちは――」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。

あろうことか、私は、事件で亡くなったりケガをした人たちを、
「一寸の虫」と例えようとした。
もちろん、そんなつもりは毛頭ないことを思いつつ、
もしかしたら自分の中に、彼ら彼女らをさげすむ思いを持っていることを感じた。
恨んでも恨んでも恨みきれない、あの男の主張と、なんら変わらないじゃないか。

刺青をして、髪を染めて、障害者はいなくなればいいと主張し、
三権の長に直訴しようとし、
それでもなお済まずに、未明の施設に侵入し、狂気の沙汰を繰り広げた男。
その一切を認めることはないと思いつつ、その一片を自分が持っていることに愕然とした。
私はこの男を、批判する立場にはないのではないかと。

もちろん、この男の主張はまったくもって肯定できるものではない。
どんな命にも、懸命の命があって、その命の誕生を祝い、
その命を長く過ごしてもらいたいと思う肉親や近隣の人、
一緒に生きていく人たちの思いがある。
そのかけがえのない、必死の命を、
独りよがりの短絡的な思想により、カットアウトすることは許されない。

でも――。
自分の胸に手を当てると、その思想を100%否定できる自分が
果たしているのだろうかと思うと、とても残念ながらないのかもしれない。
亡くなった人、ケガをした人の氏名が明らかにされない、異常な事件の中で、
「死者は○○さん」ではなく「死者19名」と、命を数字に置き換えた報道の中で、
私の心は、じゃりじゃりと砂を噛んでいる思いがした。

特異動向、薬物行動、偏向思想など、刑事事件を問えるかが不安定なこの男の蛮行。
「戦後最悪」とよばれる事件。
おそらくは、極刑を言い渡されるか、一生シャバの空気を吸えないまま病院に幽閉されるか。
そのいずれしか、現行の法制度では裁くことのできない案件になるだろう。
断罪されるべきだし、法治国家を反故(ほご)にしてまでも、
この男に私的制裁を加えたいとすら思う。
それがもし、この男の命を奪うことになったとしても、おそらくは世論が是認すると思う。

でも再び、自分の胸に手をかざし、この男の一方的で短絡的な思想を反すうしてみたい。
自分に、この男の言い分を、100%否定するだけの確固たる信念があるのか。
もしかしたら、私たちの心の奥底に、実は男を否定できない「闇」があるのではないか。
その闇が、いつか表に出てくることはないのだろうか。
そう思うと、この事件は、少なくとも私にも刃物を突き付けられたのだと言える。

法治国家である日本を、この事件で悔いた。
19人の、懸命に生きる命を自分勝手な思想で奪い、数十人のけが人を招いた。
数百人の関係者を、絶望のどん底に陥れ、数千・数万という人々に憤りを感じさせた。
その報いが、屁のようなこの男の命を奪うしか、現行の刑事制度にはない。
あまりに不条理で、あまりに格差がある。
――ただし、この男を断罪する自分に、100%の自信が持てない。
砂を噛むじゃりじゃりとした音が、奥歯のまた奥に聞こえる。

この男のたわごとと称する動画を、テレビのニュースは繰り返し報じる。
正視できない。
慄然(りつぜん)とする狂気の沙汰に目をそらすと同時に、
あの男の向こうに見える、ブラウン管に映った自分の心の闇もまた、目をそらす。
でも目をそらしてはいけないと、言い聞かせる。
そうでなければ、不条理に命を落とした彼ら彼女らの、懸命の命があったのだから。

いまはただ、亡くなった方のご冥福をお祈りします

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九州豪雨に心が痛みます [考える]

九州豪雨に心が痛みます

日ごろ見慣れている、黄色が背景の気象注意報や、多少警戒感を強める、赤文字の警報。
しかしここ数日、見慣れない紫色の「特別警報」が発令されていた九州地方。
ニュースでは「ここ数十年で経験したことのない災害が起きる可能性が高い」として、
最大級の警戒を促していました。

濁流という文字の想像を圧倒的に超える、河川の荒くれるさま。
普段は車輌が通るべき国道に横たわる、流木。
着の身着のまま逃げてきた人々の、不安におびえる土気色。
そのすべてが、理不尽にも何の落ち度もない、九州の人々を襲いました。
いまなお、生死すらわからない人がいて、多くの避難を余儀なくされている方に、
心よりお見舞い申し上げます。

ニュースは繰り返し、豪雨のメカニズムを報じていますが、
数時間で数百ミリの雨が降れば、どんなに治水対策を講じている地域であっても、
浸水被害は免れません。
それがほぼ一昼夜、降り続けば甚大な災害になるのは自明のこと。
あまたの教訓は後回しに、いまは救助と救援に全力を尽くしてほしいと思います。

地震、津波、洪水、大火などで、この日本列島はすべからく、
どの地域にも被害をもたらしてきました。
その大小はあれど、この国は改めて「災害列島」の上にあるのだと認識させられます。
九州の被害は、どこで起きてもおかしくないものだということを学ぶことで、
この国の減災への思想は進んでいくと思います。

愛着のある住まいや地域を「着の身着のまま」逃げるということが、
どれほどの辛さ、悔しさを伴うものか、想像を絶するものがあることと思います。
着の身着のままの人々に、お風呂を用意し着替えを用意し、
飲み食べるものと雨露をしのげる環境を用意するのは、被害にあわなかった周囲の人のつとめです。
これまでも災害に立ち向かってきた「共助」の思想です。
人間の英知を結集する時期だと思います。

織姫と彦星は、年に一度の逢瀬が、雨が降れば天の川の水かさが増えてしまい、
実現できなくなるという七夕物語。
きょうは新暦の七夕。
せめて、きょうだけは自然の猛威も、その物語の悲哀をおもんぱかって、
物静かな天候であってほしいと願わずにいられません。
七夕の夜に、願い事を祈る風習があるのなら、
今年はほんの少しだけ、九州地方の被害を減らせるように祈りたいと思います。

祈るだけしかできないけれど、同胞の痛みを少しだけでも減らせれば、
同じ国に住む私たちとして、こんなにも素敵なことはありません。



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哀しみよりも「痛い」と思った、きのうのこと [考える]

哀しみよりも「痛い」と思った、きのうのこと


きのうの23日の昼前に飛び込んできたブレーキングニュース。
その文章を見て、心底「痛い!」と思いました。
字面を見て、物理的な痛さを感じたのは、おそらく初めてだと思います。

小林麻央さんが急逝しました。
彼女は長い闘いに敗れたのではなく、その闘いをとても大勢の共有の痛みとして広め、
こころざし半ばに、一足先に旅立ったことに対して、心からのお悔やみを申し上げます。

同日午後に開かれた、市川海老蔵さんの記者会見を、ほぼライブで見ました。
なにか、記者相手に話をすることで、現実を受け入れようとする、
ある意味での男の「もがき」を垣間見た気がしました。
到底、受け入れられない非情な現実を前にした人間の、
気丈に振る舞う矛盾した言動がまた、私の心に対する物理的な痛みに感じました。

私は常々、人間の生きた期間が長い人が偉いという風潮には、疑問に思っていました。
だれしもが長く生きたいと思う反面、不幸にして短い一生を終える人もいる。
命の長短は、生まれつき備わっていた「宿命」であり、
その宿命には「良い」も「悪い」もないのだと思っています。
100歳を超えて、まだ生き続けるのも宿命なら、
多くの人を悲しませた34歳の命もまた宿命です。

近しい方が亡くなったと聞くとき、享年はそんなに大事ではないと思っています。
太くたくましく生き抜いた人もいるわけですから、その年月は二次情報でしかない。
その思考は、49歳でこの世を去った、私の父の生きざまに接した時に完成しました。
父は私に、命を賭してそのことを教えてくれたのだと思っています。

でも今回ばかりは、その34年しかなかった宿命を恨みました。
病と闘い、幼な子を育てる日々に、その年月はあまりに短すぎた。
薄れゆく意識の中で、さまざまな心残りを思っただろう、最期の一瞬に、
感謝よりもなによりも、悔しさが前面に出たんじゃないだろうか。
それとも、闘いに挑んだ彼女の精神は、もはやそんな下世話なものではなく、
もっと崇高な「徳」に満ちた最期だったのかもしれないとも思いました。

病を隠すのではなく、その闘いを公表し、
その色に染まりたくないと、あえて楽観的な日々をブログという場で明らかにしてきた彼女。
その姿勢に対して、多くの人の共感を呼び、支援の輪が広がりました。
もちろん、すべてが彼女の意思決定ではなかったかもしれませんが、
生きざまに接した大勢がいたことは事実です。
そのいずれの人にとっても、この訃報は残念だったと思います。

そして、彼女や海老蔵さんが、ブログという媒体を選んで
その一挙手一動作を明らかにしたことに、
同じブログという場を主戦場としている、ブロガーのはしくれである私にとって、
最大限の尊敬をしたいと思います。
個人が情報発信をするツールとして、さまざまなSNSが存在している昨今、
もはやブログは前近代的なものだという意見も多いですが、
あえてそこで、自分をさらけ出すのを選んだのです。
そこに、多くの読者が、まるで自分のことのように一喜一憂したのです。
まだまだブログというツールが、可能性を秘めていることに気がつかせてくれました。

もはや、彼女の名前では、一行も発信されなくなったブログ。
まさに、ブログによって生かされていたとするなら、壮絶な絶筆でした。
20170624小林麻央.jpg
命のかすかな一灯を、文字にしていたのです。

だとするなら、その影響力からすると、吹けば飛んで行ってしまうような
ささやかなワールドを構築しているにすぎない私にとっても、
彼女は「同志」だったのかもしれません。
そんな同志の訃報もまた、私に痛みを覚えさせました。

彼女が伝えたかったこと、やり残したことが、本来ならあのブログに続くはずでした。
でもそれは叶わなかった。
だとするなら、同じ土俵にいる私たちブロガーが、その想いを継ぐのが真からの弔いです。
元々、文章の研さんの場だと思って開設してきた弊ブログもまた、
その初心に立ち返る機会だと思うのです。

痛みを活力に変えて、悲しさを躍動する力に変えて、悔しさを愛に変えて。
あえて前に進むことこそが、いま求められているのだと思っています。

一度も会ったことのない方なのに、なにかの縁を感じる人でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。

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憲法記念日に考える [考える]

憲法記念日に考える


大型連休をエンジョイされておられるでしょうか?
式守錦太夫です。
ひがんでいるわけではありませんが、
来週以降約2か月半、祝日のない「フルストレングス」の暦になりますので、
せいぜい満喫していただきたいものであります(笑)
ちなみに今月は、大型連休のあとに自動車税というとんでもない税金の納付書が届いて、
散財してしまった冒頭の連休を悔いるのが常ですので、どうぞお気をつけください。
うちの車は20年選手なので、税金が高い!
これを悪法と言わず、なんと言うのでしょう!
――と、ゲキ怒プンプン丸なのであります。


大型連休の祝日には、それなりのいわれと理由がありまして、
4月29日は「昭和の日」
もはや昔の話になりましたが、昭和天皇の誕生日でありました。
5月5日は「こどもの日」、この日の表記は子どもを「こども」と平仮名書きで統一されています。
5月4日は、祝日と祝日に挟まれた日を「国民の祝日」としていたのが改められまして「みどりの日」
悪い言い方をすると「オセロで挟まれたような祝日」とか「裏ドラだけで役満になったよう」など、
いわゆる漁夫の利的な祝日で、大型連休化させるための日であります。

で、きょう5月3日ですが、1946年のこの日に施行された「憲法記念日」であります。
平和主権、基本的人権の尊重など当時としては画期的な成文憲法でありました。
70年以上が経過し、条文にも疲弊が目立つ中ではありますが、
憲法の理念を堅持することこそ民主主義の基礎だとされてきています。

護憲、改憲さまざまな意見があることを十分に承知の上で、
でもこの理念そのものを否定する勢力はおりません。
時代にそぐうか、それとも愚直に守り続けるのか、それを議論する過程の中で、
変えていくのかどうするのか、それを考えればいいと思うのです。

この憲法を変えるか否かの議論って、私は電車における遅延時の乗客に似ているような気がします。
少し乱暴ですが、この例えを説明させてください。

例えば人身事故が起きたと仮定しましょう。
人身事故じゃなくて、ポイント故障とか車両故障でもいいです。
要は、電車が動かなくて見通しが立たない状況。
駅のホームに停車できている車輌であれば問題ないのですが、
駅間に挟まれて、前後の駅にも動けないということがままありますね。
乗客は狭い車内でじっと待つわけですよ、自由を束縛された状況ですから、
ストレスがたまります。

「決して線路上には降りないでください」と再三のアナウンス。
そうです、車内を見ると非常時にとあるコックを引くと、
全部の扉が開放されて線路上に降りられるのをみんな知っているからです。
たしかに、次の駅の手前で待たされているとしたら、
線路に下りれば数百メートル歩くだけで自由を勝ち取ることができる。
でも、鉄道会社からすると仮に乗客が線路に降りてしまったら、
確実に降りた人を全員把握するまで、運行再開ができなくなり、より遅くなるのです。
だいたい、もともと歩くことを想定していない場所ゆえ、
どんな障害物があるかもわかりません。

国の在り方を定めた「憲法」という電車に乗っていて、
その理念を阻害する事象が発生した時に、
じゃあオレは勝手に降りちゃうよという選択肢をするというのは、
非常コックを引いてドアを開放してしまう愚挙なのです。
たまたま居合わせた「電車」を「国家」と置き換えれば、キチンと筋道を立てて議論し、
例えば鉄道会社(車掌なり運転手でもそう)と交渉して、より良い結論を導き出せばいい。
1人の勝手なさまが「秩序」を乱すことになるのなら、
そこは民主国家であり、議論という術を知った人間の稀有な能力によって、
どうにでもなるものだと思うのです。

たしかにきゅうくつで、一時的に自由を束縛されるのは、不快でしょう。
でも、これまで多くの恩恵を享受されてきたのも事実。
荒天でも朝早かったり夜遅かったりしても、時間通りの運行をしてくれる鉄道事業者と、
憲法の理念のもとにさまざまな施策を実施してきた国家には、
相通じるものがあると思っています。

議論そのものは大いにやればいいけど、勝手なふるまいをするのは許されない。
これが近代国家のあるべき姿であると思います。

30年前の昨日、とある新聞社の神戸支局に、赤報隊を名乗る暴徒が乱入し、
居合わせた記者を殺傷した事件がありました。
例え自分の主張にそぐわないグループが言論によって展開しているのであれば、
やはり同じ言論で対抗するべしというのが、憲法の理念。
だとするなら、記者に無言で鉄槌をおろした暴徒には、一片の情状もありません。
愚挙であり暴挙であります。

極端な例示とは言え、こういう風潮、
つまり異論に対して物理的な暴力によって排除しようという勢力がこと多いような気がします。
これは、せっかく築いてきた国家のあり方を壊してしまいそうな気がしてなりません。
個の自由と全体の秩序、そのどちらを優先するのかという天秤は、
時代によっても変容しますが、
大事なことはそのどちらも「尊いもの」だという畏敬の念を持たないと、
あっという間に暴走してしまうと思うのです。

国立公文書館には、日本国憲法の原文が収蔵されていて、
現在特別展示をしているとの報がありました。
20170502憲法原文.png
破こうとすればすぐに破けてしまうほどの、柔な和紙にしたためられた手書きの文字。
こんな淡いものが、私たちの思想の根底にあって、どんな試練にもびくともしなかった。
その精神の尊さを観覧して、いまの憲法を今後どうしたらいいのかを考えてもいいかなと思いました。

きょう5月3日、一瞬でもいいから憲法について考える時間を持ってもらえたらと思い、
きょうの記事を書いてみました。
護憲・改憲、そのどちらの意見を持っても結構。
でも、いまの制度である憲法下で認められた議論で、この問題は考えるべきで、
決して、非常扉のコックを開けてしまうことのないように。

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クルクルパーが大臣を辞めた [考える]

クルクルパーが大臣を辞めた

ここまでくると、この人への哀れすら感じてしまう、式守錦太夫です。
クルクルパーも、度が過ぎるとため息しか出ませんね。
もっとも、ため息を本当につきたい人はもっとたくさんいらっしゃいますが。

子どもがミスを犯して、その汚名返上の場を用意したところ、
子どもらしく、重ね重ね間違っちゃった。
苦虫を噛みながら親が「恥の上塗りで、本当に申し訳ありません」と詫びる。
まあ子どものやることだからと、微笑ましい光景でありますが、
これを大臣と任命権者の総理が繰り広げたんだから、クルクルパーだと言うのです。

舌禍や感情をあらわにした記者会見をやった今村復興大臣に、
所属する二階派の派閥のパーティで、挽回のための講演を準備したところ、
「震災は東北で良かった」と発言し、直後に総理が「誠に不穏当でお詫びする」と話し、
結局、復興大臣を更迭することになりました。
20170426今村大臣.png
大臣の資質という以前に、人としての最低限のなにかが欠如しているなあと思いました。
こういう人に大臣、それも震災復興特命相を任命していた安倍総理の、
任命権者としての責任が問われる事態であります。

常々、私は政治家が「失言」をするのは、
基本的に思ったことを口に出してしまう
「ある意味でのバカ正直」さがあると思っていました。
よせばいいのに、どうしてそういうことを言っちゃうんだろうと思ったりもします。
今村大臣も、きっと思っていることを内にためずに、しゃべっちゃう性格だったのでしょう。

彼の講演での発言を聞きましたが、たしかに言葉の前後までしっかり聞けば、
比較論として、首都圏で災害がおきたら被害額は数倍にも及ぶとか、
そのためにも防災・減災施策はしっかりやらないといけないと語っています。
水産業に対する復興支援に対しては、これまでの復興相に比べても、
寄り添った対策を講じていたのも事実です。
でも――、彼が置かれていた立場は、復興担当特命大臣ですから、
聞く人によっては悲しくなるような比較を、公の場所で言うべきではありません。

「李下に冠を正さず」ということわざがあります。
スモモの木の下で冠を正すと、スモモを捕ったと思われるから、そういう行為はしない。
転じて、危ういことに対して、行動には注意しましょうという意味。
彼ほどの立場であれば、逆にそういう発言があった時に、
烈火のごとく指摘し糾弾するくらいであってほしかったのに、
記者に問われて「だったら撤回する」という体たらく。
この人、腹の中ではずっと、東北で震災が起きて良かったと思っていたんだろうな。

経歴を見ると、当選回数的に順番で回ってきた大臣だったんだろうなと思います。
末は博士か大臣かの、まさに大臣を務めて経歴に箔をつけるのが、
たまたま復興大臣だったというだけのお人。
だからでしょう、この失策に対して安倍首相が新たに任命した新復興大臣は、
福島選出の議員をあてました。
適材適所という言葉があるなら、今村氏は「不」敵材だったのです。

そんな、ときの為政者たちのブレが、末端にはあまりに哀しく漂います。
未曽有の被害に人生を揺さぶられた人の怒りは、激しいでしょう。
今村氏は今になってやっと、自分が置かれていた職責の重さをわかったんでしょうね。
発言から半日、辞表を携えて首相官邸に向かう朝の彼の目は真っ赤に充血していました。
おそらく一睡もできなかったことでしょう。

なんであんなことを言ってしまったんだろうと、後悔するような発言をしたことは、
おそらくだれしもがあると思います。
深く人を傷つけてしまっただろうな、言わなきゃよかったなということが。
言葉はそれほどまでに、不可逆的な災いを招きます。

では、そんな危ないんだったら、言葉なんていらないとは思いません。
その言葉によって、人を勇気づけることもできるのですから。
人間に備わった、稀有な能力を、
使う人間の器量・度量で、活かすも殺すもできるものです。
だから細心の注意を払って、効果的な使い方を学んでいきたいと思うのです。

他人をおもんぱかった言動ができることが、人間の矜持です。
矜持は不断の努力によって、身につくものです。
だとするなら、少なくとも今村氏にはその努力を怠っていたのでしょう。
矜持なき人間は、国権の最高機関である国会に所属する議員の資質はありません。

子どもを見守る立場にある人間が、子どもを殺害したとされる事件もありました。
そして今回、震災復興に携わるトップが、こういう事態を引き起こしました。
事の大小はあれど、同じ穴のムジナだと思いました。
だから私は、こういう人にあえて「クルクルパー」だと言うのです。

少なくとも、国民から選ばれるだけの立派な職業の人に、
最大限の侮蔑表現である「クルクルパー」と言うには、私も躊躇があります。
でも、それに代わる言葉が見当たらない以上、いま最も適した言葉だと思います。

「出ていきなさい!」と言うべき相手は、もしかしたらご自分だったのではないですか?
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葛飾区と葛城市、時代にほんろうされた文字 [考える]

葛飾区と葛城市、時代にほんろうされた文字

重婚したり、3億8千万円を白昼に盗まれたり、ホストを脅してみたり、
世間は相変わらずにぎやかですね。
式守錦太夫です、こんにちは。

先日、文字の講座を受講したという記事を掲載しました。
そしたら、読者さまから「葛飾区と葛城市」という話に食いついてきた方がいらっしゃいました、
(ソネブロのcaverunaさんですが=笑)
この「葛」という文字ですが、地域名や人名にも使われるのですが、
時代にほんろうされた、大変気の毒な文字であるのです。
ですのできょうは、この文字に関して、一本、記事を書いてみます。

ちなみに一昨日、偶然地元の飲み屋さんで、先日の講師である大熊肇氏にお会いし
葛の字で記事を書くことを告げたら「書籍を全文コピペしていいよ」と、
大胆な許可を頂いているのですが(笑)、
著作権とかもあるだろうし、まあ私なりに解釈して、文章を書いてみます。
もし間違えがあるようなら、ご指摘くださいませ。

大熊肇著『文字の骨組み』より、多数引用しております)
20170418文字講座3.jpg

葛という文字ですが、下の部分が「人+L」のような文字と、
カタカナの「ヒ」のような文字が混在します。
20170422文字.png
パソコンでは、どちらを記そうとしても、おそらくは「人+L」が出てしまうと思うので、
ここでは便宜上、葛「人+L」と葛「ヒ」と分けて表記します。
(詳細は後述します)

この2つはどちらも同じ字種であることから「異体字」であります。
例えば、未来の「未」と、末吉の「末」は、伸ばす部分が違うだけではなく、
文字自体が別のものですので「違う字種」だと言えますね。
ところが人類が文字を編んできた、多様な変遷を歩んできた中で、
異なる字体が生まれてきました。
それを「異体字」と呼びます。

2000年ほど前の文書によれば、葛の字は葛「人+L」でしたが、その後葛「ヒ」になりました。
系譜を見て行くと、葛「人+L」はフォーマルな場で書かれる文字=「正字体」で、
葛「ヒ」は、手書きの通用体(日常の文書で使用するもの)と思われます。

つまり、「正字体」と「手書きの通用体」である両者は、同じ文字であって、
いわば「よそ行きの服装」と「普段着」であります。
服装が違うからと言って、その人は別人だという論理はないですね。
ですから「異体字」というのは、同じ字種だと言えるのです。

ここで重要なのは、どちらかの文字を書くつもりで、
もう片方の文字を書いてしまったからと言って、それは間違いだと言いません。
「人+L」も「ヒ」も、元は同じものですから、構わないという理屈になります。

ところが、それを気の毒にも分かりづらくした時代背景があるのです。
それもごく最近のことなのです。

昭和21年に告示された「当用漢字表」は、昭和56年に廃止されて「常用漢字表」となりました。
文化庁管轄のこれら漢字表を、パソコンやワープロなどで描き出すために、
標準規格を作る作業があり、
旧の通産省、いまの経済産業省は日本工業規格(通称JIS)にのっとって、
JIS漢字を作りました。

最初のJIS漢字は当用漢字表時代の「JIS78」
その後、常用漢字表に置き換わったり、人名用漢字(これは法務省管轄)が増えたりして、
定期的にJIS規格は変わっていきます。
78の次は83・90・04となっていくのは、まるでWindowsのスペックのようでもあります。
そして葛の文字は、そのJIS規格の変遷にほんろうされていくのです。
問題は大改訂が行われた「JIS83」。

このJIS83では、常用漢字でも人名漢字でもないもので、特に変えなくてもよさそうなものを、
大胆に変えてしまったことで混乱を生じました。
(大熊先生は、このJIS83を変えた特定の学者の名前をあげて
「とんでもないことをした人」だとしていますが、ここでは特定するのはやめましょう)
ここで、森鴎外の「鴎」の字も、口3つからメの字にかわり、
葛の字も「人+L」から「ヒ」に変わりました。

JIS78では、葛の文字は「人+L」ですが、JIS83で「ヒ」へ。
東京都葛飾区は、葛の文字を「人+L」と規定したのが1986年。
20170422葛飾区.gif
おそらくは、1983年にできたJIS83が浸透してきて、実装するPCなどが増え、
文字の混乱を生じたので、「人+L」と規定したのです。

ところが、2004年に奈良県の當麻町と新庄町が合併して「葛城市」が誕生しました。
この場合の「葛」の文字は「ヒ」。
20170422葛城市.gif
JIS83で定められた文字にて登録したのです。
ところがその年に改訂されたJIS04では、元に戻された「人+L」になってしまいました。
Windows VISTAが2007年に発売され、JIS04が実装されると、
葛城市の登録した漢字である「ヒ」が出なくなってしまいました。
そこで、葛城市では市に申請する文書などで、
どちらの文字を使っても構わないという見解を出す騒動になってしまったのです。

つまり、規格によって異体字をどちらかに定めてしまい、
冒険主義的なJIS83からJIS04までの20年余り、
葛の文字は人+Lからヒ、そして人+Lに変遷してしまいました。
だから、その間にできた地方公共団体や会社名などは、
混乱をしたのであります。

ちなみに、大熊氏は「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する「葛城ミサト」はどちらなのかを、
ご丁寧に調査しております。
20170422葛城ミサト.jpg
絵コンテなどでは葛城市と同じ葛(ヒ)となっていましたが、
これは1990年代に作られたものだから、納得できるとしています。
しかし、2007年に製作された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」では、
JIS04以降のPCを準拠して葛(人+L)になるのかなと思ったら、
前のままの葛(ヒ)だったそうです。

文字の一部分が、時代と施策に翻弄される、如実な例示かもしれません。

ちなみに異体字を「同じ字種だ」とわかる能力を「文字をワタる能力」と、
印刷所の植字の現場では言うそうです。
大熊氏は、異体字をどちらかにこだわるのではなく、
「どちらでもよい」と言うことにこだわってほしいとしています。
「高」が口なのかハシゴなのか、「崎」が大なのか立なのか。
こう考えると、文字のワールドには奥に秘めた楽しみがあるようです。

ちなみに、葛の字で「くず」とも読めることから、困っているとcaverunaさんは申しておりますが、
さすがにそこまでの言及は、大熊氏の書籍にはなかったので、
悪しからずご了承ください(笑)

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あしたは新学期、子どもが安心できる街に [考える]

あしたは新学期、子どもが安心できる街に


入学式の話題が世間で出始めた先週末ですね。
私の好きな時期であります、式守錦太夫です。
私の家の近所の学校では、あす9日が入学式とのこと。
今年はギリギリ、桜が間に合いそうです。

子ども心によそ行きの表情で、少しだけおめかしして、ちょこっと凛々しい新入生と、
やはり晴れやかで、結婚式にお呼ばれした時とはちょこっと違うご家族。
手をつないで、ちょこっとせわしなく歩く姿は、何物にも代えがたい光景だと思います。
この子のことなら、自分の命と引き換えたとしても、守ってあげたい。
おそらくはそう思いながら、新しく通う学校に歩むうしろ姿を、
私は目を細めて見ています。

入学式の次の日からは、真新しいランドセルがやけに大きく見える新一年生を、
通学班のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、囲むようにして登校する光景。
20170408登校写真.jpg
不安な表情を押し殺して、通学帽を目深にかぶり、
遅れまいと小走りに歩く姿を、周囲の大人たちが見守る。
この日だけは、道路を走る車もいつもよりも徐行して、
登校の列を少し回避するように、控えめに走っています。
ウォーキングのシニアの人々も歩を止めて、
普段はうつむいてスマホをいじる高校生も目で追う。
街に新一年生のランドセルが躍るただそれだけで、これほどまでに日々の日常が変わるのは、
やっぱり彼ら彼女らを街が歓迎しているのでしょう。

本当にくだらない、ごく一部の犯罪者が、そういう街をあげて見守る子どもに手をかけて、
無残な姿にした地域もあることから、
子どもの安全のために、地域社会と行政、警察が一体となっています。
絶対に街の宝でもある、子どもたちの安全が脅かされることがあってはなりません。

いまだに逃げ続けている、子どもに手をかけた犯人は、
不幸のどん底に陥れたご家族の無念さをどう考えているのでしょうか。
逃げ通せるはずもなく、必ずやその償いのために、一生を犠牲にするはずです。
地域社会への重大な挑戦に対しても、私たちはひるむことなく対峙して行きたいと思います。

そして、それ以外の学生・生徒にとっても、新学期の始まりです。
ワクワクする気持ちと、ちょこっと抱える不安が交差していることでしょう。
毎年、新学期の前と9月1日の前には、学校に行くことを拒むどころか、
生きていくこと自体を放棄してしまう子どもたちが多いと聞きます。
私も微力ながら、そういう拙速な結論を出してしまうようなら、
学校から逃げちゃうことを、これまで提唱しています。
今年もそういう時期ですね。

学生時代、学校という枠がきゅうくつだった私にとって、
学校以外に楽しい場がいっぱいあって、そこに活路を見いだしていました。
それは今も同じ、決められた枠で没個性で生きていくよりも、
めいいっぱい遠回りして、余計なことばかりやっていくことの方を選んでいます。
じゃあ、そういう生き方をして、世間では異端扱いかと思えば、あながちそうでもないみたい。
だから、世間が決めた道になんか、歩くことを強制されないんだよね。

まして、そういう枠に押し込められるのが辛くて、生き急ごうとするのなら、
お尻をまくって逃げちゃってもいいんだよ――と、世間のオトナがやっと言い出しています。
まずは何日か、生きるための自主的な「逃避行」をして、その間にいろいろ考えてみましょう。
家で考えるより、図書館でも美術館でもいいから、なにか知的なものに触れに行くといいですね。
野球を見に行ったって、名残りの桜を見に行ってもいいと思う。
川面に桜の花がいっぱいになる「花筏」だけを見たって、
なにかいつもとは違うものを得られます。
要は、非日常を求めに、街に出てみましょう。

もし、本当に行くところがない!と思うなら、
新しい小学生の通学路で、登下校のサポートをしてあげたらいいと思います。
子どもたちや周囲を不安にさせないために、できたらサポートしている大人に、
「今日だけ自分も一緒にいさせてください」と頼むといいですね。
学校は?って聞かれたら、今日は行きたくないからと素直に言えば、
理解ある大人はきっと、それ以上を問いただしません。

そのかわり、あなたの課せられることは重大ですよ。
新小学生の命を守るために、もしかしたら命を賭す覚悟が必要ですからね。
その覚悟があれば、文字通り一生懸命に、サポートをしてあげてください。
年下の、自分とは何の関係もない子どもたちを、守ることができた時、
おそらくは爽快な気持ちになるでしょう。
周囲の大人から、感謝されるかもしれません。

生きられる命を生きるということに、なにかの感慨を持つことができたら、
ものすごく素敵な「学習」ができたのだと思います。
学校なんかでは教えてくれない、自分がつかんだ成果を噛みしめてもいいでしょうね。

子どもが安心して生活できない社会というのは、子ども以外の、すべての大人の怠慢です。
私たち大人が、汗をかいて声をあげ続けないと、とんでもない世の中になってしまいます。
あすの新学期は、それを試されていると思うのです。
こういう文章を書きながら、では自分はなにをできるのか、
なにをしなければならないのか、模索して行きたいと思います。


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稀勢の里の優勝に思うこと [考える]

稀勢の里の優勝に思うこと

全国でもっとも早く、ソメイヨシノが開花した都心に、花冷えの冷たい雨が降る日曜日。
大阪の地では、手負いの新横綱の快挙が報じられた。
奇跡と銘打った、後世に語り継がれる名取組は、
周囲もメディアも協会も、ほぼ無理だとあきらめていたものだった。
唯一、本人だけがあきらめていなかった。

荒れる春場所を全勝で牽引した新横綱は、最終盤の横綱決戦にて負傷。
土俵で表情を変えないことを是とする、相撲道の教えを忠実に守る彼が、
ふと左肩に覚えた絶望的な違和感に、かつてない歪んだ顔で応じた。
今場所の優勝どころか、来場所以降の休場も予想するメディア。
カド番大関の優勝をだれしもが想像した。
そしておそらく、その大関自身も優勝をほぼ手中に収めた、と思っただろう。

翌14日目、手負いの新横綱は、大多数の予想を裏切って強行出場した。
年に一度の大阪場所、一生に一度しか観戦できないお客さんもいる。
そういう人に、せめて横綱の土俵入りを見てもらうのも、横綱の務めだ。
――そういう気持ちで土俵に上がったに違いないと、私は思った。
左肩を動かすのも難儀な状態では、連敗するのも当然だった。
意気込みはよしとするも、その土俵を見ることが辛かった。

審判部が割を崩して、千秋楽に新横綱は、優勝のかかるカド番大関との取組を編成された。
休場すれば、不戦勝で優勝が決まるという、興行上の問題もあるからだろう。
新横綱は悲痛の思いで、これまた強行出場した――と、私は思っていた。

本割で、新横綱は上手を求めて変化気味に立ちあった。
ここ数年、彼が見せたことのなかった「この一番の勝ち」だけを求めた。
カド番大関は、心を鬼にしてその取り組みに臨めなかった。
勝負は決して、優勝決定戦にもつれた。

そして――実はその瞬間に土俵の神は、どちらに勝負の微笑みを見せるかも決めていた。

決定戦で、小手に巻かれて投げられた大関は、土俵に腰をついて、
悪夢を見ているかのような表情で、しばし遠くを見た。
指の隙間から、それもほんの少しの間から、逃げて行ったものの大きさを感じた。
勝った新横綱には、大阪の好角家の地鳴りのような歓声が降り注がれた。
勝者と敗者、明と暗、これほどまでの極端なコントラストだった。

君が代が流れる館内で、あふれ出る涙に去来したのはなんだろうか。
初場所の、欲しくて欲しくてたまらなかった賜杯とはまた違うものだったのだろう。

しかし、彼は、この優勝を手にしたかわりに、途方もない今後の茨の道を歩むことになる。
それが遅咲き横綱にとって、良かったのかどうかはわからない。
素人目にも、彼の負ったケガは、力士人生を左右するほどの重症だからだ。
時の首相から「感動した」と評された大横綱が、その無理がたたって長期休場をしたのも事実だ。

でも、新横綱だけが、あきらめずに千秋楽での逆転優勝を狙っていた。
だからこその強行出場だし、本割での勝ちを求めた立ち合いの動きだったのだろう。
勝つことへの非情なまでの貪欲さを、見たような気がする。

手負いの傷を深めてもなお、手に入れた優勝に対しては称賛する。
ただ、後退することができない地位での無理に対して、
もっと違う選択肢があったとしたら、今場所の結末はどうなっていたのだろうか。
そう考えると、まだ私の中で、手放しで喜べない自分がいることも事実だ。

照ノ富士が、逃したものの大きさに打ち震えて、
来場所以降のスケールの大きい相撲を見たいと心底思った。
そして稀勢の里、2度目の優勝おめでとう。
ケガが癒えて、緊張感のある彼の土俵が、また、見たい。

20170327稀勢の里優勝.jpg

タグ:相撲
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鎮魂の日よりも、希望の光に向きあう日 [考える]

鎮魂の日よりも、希望の光に向きあう日

首都圏は春の光が降り注ぐ、きのう6年目の鎮魂の日でした。
式守錦太夫です、穏やかな時を過ごされたことだと思います。
土曜日の銀座・和光では、地震のあった時刻に鐘が打ち鳴らされ、
通りがかりの人々が歩を止めて、目を閉じたという写真を見ました。
多くの人々の心に深い刻みを負ったあの日から6年。
風化の懸念を払しょくしたいとする、皆さんの信念に敬意を表したいと思います。

私は毎年、これも継続して唱えていることではありますが、
3月11日の鎮魂の日よりも、その翌日の方が大事だと思っています。
もちろん、亡くなった人への祈りは尊いものですが、
私たちに託されているのは、その多くの命の代償である、
復興への道を歩み続けることであります。
だとするなら、むしろ3月11日を一過性のものにせず、
希望の光に向かってなお活動する「3月12日」の方がより重要です。

いまだに福島出身だということで、言われなき差別が続いているとの報道がありました。
無知と無理解が徐々にはびこる社会。
そこで「違うんだよ」と声を上げ続けないと、不幸の拡大再生産が続きます。

帰宅困難地域とされている行政区が、4月1日から制限の撤廃になります。
なお不安がうごめく地域社会。
それで解消したと言い切れないジレンマ。
なお継続した支援と啓蒙が必要です。

祈るだけの3・11ならば、正直、誰でもできます。
これから1年、どのようなスタンスで自分たちが被害に向き合うのか、
その第一歩である3・12を私は見つめていきたいと思います。

やはり何かの行動を、この1年の中で行いたいと胸に誓っています。
なかなか遠出のできない生活ではありますが、
福島や宮城に、日帰りでもいいから行ってみたいとも思います。
行って何ができるのかではなく、一歩でも半歩でも前に進む。
壮大な自己満足でも、その積み重ねが「心の支援」につながるならと思います。

昨日も書きましたが、プラネタリウムの震災特別投影は、
2018年にはぜひやりたいと思います。
主担当ではなくても、そこのスタッフに名を連ね、汗をかくことで、
自分なりのアクションになると思うのです。

きょう3月12日も、私は仕事がロングになる予定です。
仕事場に身を置き、実は普通に仕事ができていることを幸せに思い、
これからの一年、希望の光に向かって何ができるのか、何をしなければならないのか、
自問する時間にしたいと思います。

明けないと思った6年前の3月11日の夜、無数の流れ星が人々の心を打ち、
律儀に朝日が昇ってきたことは、おそらく一生忘れません。
だから、きょうの朝日を希望の光だと思って、過ごしたいと思います。
20170311朝日.jpg

あすからまた、いつもの体裁の記事に戻ります。
どうぞお付き合いくださいませ。

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