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憲法記念日に考える [考える]

憲法記念日に考える


大型連休をエンジョイされておられるでしょうか?
式守錦太夫です。
ひがんでいるわけではありませんが、
来週以降約2か月半、祝日のない「フルストレングス」の暦になりますので、
せいぜい満喫していただきたいものであります(笑)
ちなみに今月は、大型連休のあとに自動車税というとんでもない税金の納付書が届いて、
散財してしまった冒頭の連休を悔いるのが常ですので、どうぞお気をつけください。
うちの車は20年選手なので、税金が高い!
これを悪法と言わず、なんと言うのでしょう!
――と、ゲキ怒プンプン丸なのであります。


大型連休の祝日には、それなりのいわれと理由がありまして、
4月29日は「昭和の日」
もはや昔の話になりましたが、昭和天皇の誕生日でありました。
5月5日は「こどもの日」、この日の表記は子どもを「こども」と平仮名書きで統一されています。
5月4日は、祝日と祝日に挟まれた日を「国民の祝日」としていたのが改められまして「みどりの日」
悪い言い方をすると「オセロで挟まれたような祝日」とか「裏ドラだけで役満になったよう」など、
いわゆる漁夫の利的な祝日で、大型連休化させるための日であります。

で、きょう5月3日ですが、1946年のこの日に施行された「憲法記念日」であります。
平和主権、基本的人権の尊重など当時としては画期的な成文憲法でありました。
70年以上が経過し、条文にも疲弊が目立つ中ではありますが、
憲法の理念を堅持することこそ民主主義の基礎だとされてきています。

護憲、改憲さまざまな意見があることを十分に承知の上で、
でもこの理念そのものを否定する勢力はおりません。
時代にそぐうか、それとも愚直に守り続けるのか、それを議論する過程の中で、
変えていくのかどうするのか、それを考えればいいと思うのです。

この憲法を変えるか否かの議論って、私は電車における遅延時の乗客に似ているような気がします。
少し乱暴ですが、この例えを説明させてください。

例えば人身事故が起きたと仮定しましょう。
人身事故じゃなくて、ポイント故障とか車両故障でもいいです。
要は、電車が動かなくて見通しが立たない状況。
駅のホームに停車できている車輌であれば問題ないのですが、
駅間に挟まれて、前後の駅にも動けないということがままありますね。
乗客は狭い車内でじっと待つわけですよ、自由を束縛された状況ですから、
ストレスがたまります。

「決して線路上には降りないでください」と再三のアナウンス。
そうです、車内を見ると非常時にとあるコックを引くと、
全部の扉が開放されて線路上に降りられるのをみんな知っているからです。
たしかに、次の駅の手前で待たされているとしたら、
線路に下りれば数百メートル歩くだけで自由を勝ち取ることができる。
でも、鉄道会社からすると仮に乗客が線路に降りてしまったら、
確実に降りた人を全員把握するまで、運行再開ができなくなり、より遅くなるのです。
だいたい、もともと歩くことを想定していない場所ゆえ、
どんな障害物があるかもわかりません。

国の在り方を定めた「憲法」という電車に乗っていて、
その理念を阻害する事象が発生した時に、
じゃあオレは勝手に降りちゃうよという選択肢をするというのは、
非常コックを引いてドアを開放してしまう愚挙なのです。
たまたま居合わせた「電車」を「国家」と置き換えれば、キチンと筋道を立てて議論し、
例えば鉄道会社(車掌なり運転手でもそう)と交渉して、より良い結論を導き出せばいい。
1人の勝手なさまが「秩序」を乱すことになるのなら、
そこは民主国家であり、議論という術を知った人間の稀有な能力によって、
どうにでもなるものだと思うのです。

たしかにきゅうくつで、一時的に自由を束縛されるのは、不快でしょう。
でも、これまで多くの恩恵を享受されてきたのも事実。
荒天でも朝早かったり夜遅かったりしても、時間通りの運行をしてくれる鉄道事業者と、
憲法の理念のもとにさまざまな施策を実施してきた国家には、
相通じるものがあると思っています。

議論そのものは大いにやればいいけど、勝手なふるまいをするのは許されない。
これが近代国家のあるべき姿であると思います。

30年前の昨日、とある新聞社の神戸支局に、赤報隊を名乗る暴徒が乱入し、
居合わせた記者を殺傷した事件がありました。
例え自分の主張にそぐわないグループが言論によって展開しているのであれば、
やはり同じ言論で対抗するべしというのが、憲法の理念。
だとするなら、記者に無言で鉄槌をおろした暴徒には、一片の情状もありません。
愚挙であり暴挙であります。

極端な例示とは言え、こういう風潮、
つまり異論に対して物理的な暴力によって排除しようという勢力がこと多いような気がします。
これは、せっかく築いてきた国家のあり方を壊してしまいそうな気がしてなりません。
個の自由と全体の秩序、そのどちらを優先するのかという天秤は、
時代によっても変容しますが、
大事なことはそのどちらも「尊いもの」だという畏敬の念を持たないと、
あっという間に暴走してしまうと思うのです。

国立公文書館には、日本国憲法の原文が収蔵されていて、
現在特別展示をしているとの報がありました。
20170502憲法原文.png
破こうとすればすぐに破けてしまうほどの、柔な和紙にしたためられた手書きの文字。
こんな淡いものが、私たちの思想の根底にあって、どんな試練にもびくともしなかった。
その精神の尊さを観覧して、いまの憲法を今後どうしたらいいのかを考えてもいいかなと思いました。

きょう5月3日、一瞬でもいいから憲法について考える時間を持ってもらえたらと思い、
きょうの記事を書いてみました。
護憲・改憲、そのどちらの意見を持っても結構。
でも、いまの制度である憲法下で認められた議論で、この問題は考えるべきで、
決して、非常扉のコックを開けてしまうことのないように。

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クルクルパーが大臣を辞めた [考える]

クルクルパーが大臣を辞めた

ここまでくると、この人への哀れすら感じてしまう、式守錦太夫です。
クルクルパーも、度が過ぎるとため息しか出ませんね。
もっとも、ため息を本当につきたい人はもっとたくさんいらっしゃいますが。

子どもがミスを犯して、その汚名返上の場を用意したところ、
子どもらしく、重ね重ね間違っちゃった。
苦虫を噛みながら親が「恥の上塗りで、本当に申し訳ありません」と詫びる。
まあ子どものやることだからと、微笑ましい光景でありますが、
これを大臣と任命権者の総理が繰り広げたんだから、クルクルパーだと言うのです。

舌禍や感情をあらわにした記者会見をやった今村復興大臣に、
所属する二階派の派閥のパーティで、挽回のための講演を準備したところ、
「震災は東北で良かった」と発言し、直後に総理が「誠に不穏当でお詫びする」と話し、
結局、復興大臣を更迭することになりました。
20170426今村大臣.png
大臣の資質という以前に、人としての最低限のなにかが欠如しているなあと思いました。
こういう人に大臣、それも震災復興特命相を任命していた安倍総理の、
任命権者としての責任が問われる事態であります。

常々、私は政治家が「失言」をするのは、
基本的に思ったことを口に出してしまう
「ある意味でのバカ正直」さがあると思っていました。
よせばいいのに、どうしてそういうことを言っちゃうんだろうと思ったりもします。
今村大臣も、きっと思っていることを内にためずに、しゃべっちゃう性格だったのでしょう。

彼の講演での発言を聞きましたが、たしかに言葉の前後までしっかり聞けば、
比較論として、首都圏で災害がおきたら被害額は数倍にも及ぶとか、
そのためにも防災・減災施策はしっかりやらないといけないと語っています。
水産業に対する復興支援に対しては、これまでの復興相に比べても、
寄り添った対策を講じていたのも事実です。
でも――、彼が置かれていた立場は、復興担当特命大臣ですから、
聞く人によっては悲しくなるような比較を、公の場所で言うべきではありません。

「李下に冠を正さず」ということわざがあります。
スモモの木の下で冠を正すと、スモモを捕ったと思われるから、そういう行為はしない。
転じて、危ういことに対して、行動には注意しましょうという意味。
彼ほどの立場であれば、逆にそういう発言があった時に、
烈火のごとく指摘し糾弾するくらいであってほしかったのに、
記者に問われて「だったら撤回する」という体たらく。
この人、腹の中ではずっと、東北で震災が起きて良かったと思っていたんだろうな。

経歴を見ると、当選回数的に順番で回ってきた大臣だったんだろうなと思います。
末は博士か大臣かの、まさに大臣を務めて経歴に箔をつけるのが、
たまたま復興大臣だったというだけのお人。
だからでしょう、この失策に対して安倍首相が新たに任命した新復興大臣は、
福島選出の議員をあてました。
適材適所という言葉があるなら、今村氏は「不」敵材だったのです。

そんな、ときの為政者たちのブレが、末端にはあまりに哀しく漂います。
未曽有の被害に人生を揺さぶられた人の怒りは、激しいでしょう。
今村氏は今になってやっと、自分が置かれていた職責の重さをわかったんでしょうね。
発言から半日、辞表を携えて首相官邸に向かう朝の彼の目は真っ赤に充血していました。
おそらく一睡もできなかったことでしょう。

なんであんなことを言ってしまったんだろうと、後悔するような発言をしたことは、
おそらくだれしもがあると思います。
深く人を傷つけてしまっただろうな、言わなきゃよかったなということが。
言葉はそれほどまでに、不可逆的な災いを招きます。

では、そんな危ないんだったら、言葉なんていらないとは思いません。
その言葉によって、人を勇気づけることもできるのですから。
人間に備わった、稀有な能力を、
使う人間の器量・度量で、活かすも殺すもできるものです。
だから細心の注意を払って、効果的な使い方を学んでいきたいと思うのです。

他人をおもんぱかった言動ができることが、人間の矜持です。
矜持は不断の努力によって、身につくものです。
だとするなら、少なくとも今村氏にはその努力を怠っていたのでしょう。
矜持なき人間は、国権の最高機関である国会に所属する議員の資質はありません。

子どもを見守る立場にある人間が、子どもを殺害したとされる事件もありました。
そして今回、震災復興に携わるトップが、こういう事態を引き起こしました。
事の大小はあれど、同じ穴のムジナだと思いました。
だから私は、こういう人にあえて「クルクルパー」だと言うのです。

少なくとも、国民から選ばれるだけの立派な職業の人に、
最大限の侮蔑表現である「クルクルパー」と言うには、私も躊躇があります。
でも、それに代わる言葉が見当たらない以上、いま最も適した言葉だと思います。

「出ていきなさい!」と言うべき相手は、もしかしたらご自分だったのではないですか?
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葛飾区と葛城市、時代にほんろうされた文字 [考える]

葛飾区と葛城市、時代にほんろうされた文字

重婚したり、3億8千万円を白昼に盗まれたり、ホストを脅してみたり、
世間は相変わらずにぎやかですね。
式守錦太夫です、こんにちは。

先日、文字の講座を受講したという記事を掲載しました。
そしたら、読者さまから「葛飾区と葛城市」という話に食いついてきた方がいらっしゃいました、
(ソネブロのcaverunaさんですが=笑)
この「葛」という文字ですが、地域名や人名にも使われるのですが、
時代にほんろうされた、大変気の毒な文字であるのです。
ですのできょうは、この文字に関して、一本、記事を書いてみます。

ちなみに一昨日、偶然地元の飲み屋さんで、先日の講師である大熊肇氏にお会いし
葛の字で記事を書くことを告げたら「書籍を全文コピペしていいよ」と、
大胆な許可を頂いているのですが(笑)、
著作権とかもあるだろうし、まあ私なりに解釈して、文章を書いてみます。
もし間違えがあるようなら、ご指摘くださいませ。

大熊肇著『文字の骨組み』より、多数引用しております)
20170418文字講座3.jpg

葛という文字ですが、下の部分が「人+L」のような文字と、
カタカナの「ヒ」のような文字が混在します。
20170422文字.png
パソコンでは、どちらを記そうとしても、おそらくは「人+L」が出てしまうと思うので、
ここでは便宜上、葛「人+L」と葛「ヒ」と分けて表記します。
(詳細は後述します)

この2つはどちらも同じ字種であることから「異体字」であります。
例えば、未来の「未」と、末吉の「末」は、伸ばす部分が違うだけではなく、
文字自体が別のものですので「違う字種」だと言えますね。
ところが人類が文字を編んできた、多様な変遷を歩んできた中で、
異なる字体が生まれてきました。
それを「異体字」と呼びます。

2000年ほど前の文書によれば、葛の字は葛「人+L」でしたが、その後葛「ヒ」になりました。
系譜を見て行くと、葛「人+L」はフォーマルな場で書かれる文字=「正字体」で、
葛「ヒ」は、手書きの通用体(日常の文書で使用するもの)と思われます。

つまり、「正字体」と「手書きの通用体」である両者は、同じ文字であって、
いわば「よそ行きの服装」と「普段着」であります。
服装が違うからと言って、その人は別人だという論理はないですね。
ですから「異体字」というのは、同じ字種だと言えるのです。

ここで重要なのは、どちらかの文字を書くつもりで、
もう片方の文字を書いてしまったからと言って、それは間違いだと言いません。
「人+L」も「ヒ」も、元は同じものですから、構わないという理屈になります。

ところが、それを気の毒にも分かりづらくした時代背景があるのです。
それもごく最近のことなのです。

昭和21年に告示された「当用漢字表」は、昭和56年に廃止されて「常用漢字表」となりました。
文化庁管轄のこれら漢字表を、パソコンやワープロなどで描き出すために、
標準規格を作る作業があり、
旧の通産省、いまの経済産業省は日本工業規格(通称JIS)にのっとって、
JIS漢字を作りました。

最初のJIS漢字は当用漢字表時代の「JIS78」
その後、常用漢字表に置き換わったり、人名用漢字(これは法務省管轄)が増えたりして、
定期的にJIS規格は変わっていきます。
78の次は83・90・04となっていくのは、まるでWindowsのスペックのようでもあります。
そして葛の文字は、そのJIS規格の変遷にほんろうされていくのです。
問題は大改訂が行われた「JIS83」。

このJIS83では、常用漢字でも人名漢字でもないもので、特に変えなくてもよさそうなものを、
大胆に変えてしまったことで混乱を生じました。
(大熊先生は、このJIS83を変えた特定の学者の名前をあげて
「とんでもないことをした人」だとしていますが、ここでは特定するのはやめましょう)
ここで、森鴎外の「鴎」の字も、口3つからメの字にかわり、
葛の字も「人+L」から「ヒ」に変わりました。

JIS78では、葛の文字は「人+L」ですが、JIS83で「ヒ」へ。
東京都葛飾区は、葛の文字を「人+L」と規定したのが1986年。
20170422葛飾区.gif
おそらくは、1983年にできたJIS83が浸透してきて、実装するPCなどが増え、
文字の混乱を生じたので、「人+L」と規定したのです。

ところが、2004年に奈良県の當麻町と新庄町が合併して「葛城市」が誕生しました。
この場合の「葛」の文字は「ヒ」。
20170422葛城市.gif
JIS83で定められた文字にて登録したのです。
ところがその年に改訂されたJIS04では、元に戻された「人+L」になってしまいました。
Windows VISTAが2007年に発売され、JIS04が実装されると、
葛城市の登録した漢字である「ヒ」が出なくなってしまいました。
そこで、葛城市では市に申請する文書などで、
どちらの文字を使っても構わないという見解を出す騒動になってしまったのです。

つまり、規格によって異体字をどちらかに定めてしまい、
冒険主義的なJIS83からJIS04までの20年余り、
葛の文字は人+Lからヒ、そして人+Lに変遷してしまいました。
だから、その間にできた地方公共団体や会社名などは、
混乱をしたのであります。

ちなみに、大熊氏は「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する「葛城ミサト」はどちらなのかを、
ご丁寧に調査しております。
20170422葛城ミサト.jpg
絵コンテなどでは葛城市と同じ葛(ヒ)となっていましたが、
これは1990年代に作られたものだから、納得できるとしています。
しかし、2007年に製作された「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」では、
JIS04以降のPCを準拠して葛(人+L)になるのかなと思ったら、
前のままの葛(ヒ)だったそうです。

文字の一部分が、時代と施策に翻弄される、如実な例示かもしれません。

ちなみに異体字を「同じ字種だ」とわかる能力を「文字をワタる能力」と、
印刷所の植字の現場では言うそうです。
大熊氏は、異体字をどちらかにこだわるのではなく、
「どちらでもよい」と言うことにこだわってほしいとしています。
「高」が口なのかハシゴなのか、「崎」が大なのか立なのか。
こう考えると、文字のワールドには奥に秘めた楽しみがあるようです。

ちなみに、葛の字で「くず」とも読めることから、困っているとcaverunaさんは申しておりますが、
さすがにそこまでの言及は、大熊氏の書籍にはなかったので、
悪しからずご了承ください(笑)

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あしたは新学期、子どもが安心できる街に [考える]

あしたは新学期、子どもが安心できる街に


入学式の話題が世間で出始めた先週末ですね。
私の好きな時期であります、式守錦太夫です。
私の家の近所の学校では、あす9日が入学式とのこと。
今年はギリギリ、桜が間に合いそうです。

子ども心によそ行きの表情で、少しだけおめかしして、ちょこっと凛々しい新入生と、
やはり晴れやかで、結婚式にお呼ばれした時とはちょこっと違うご家族。
手をつないで、ちょこっとせわしなく歩く姿は、何物にも代えがたい光景だと思います。
この子のことなら、自分の命と引き換えたとしても、守ってあげたい。
おそらくはそう思いながら、新しく通う学校に歩むうしろ姿を、
私は目を細めて見ています。

入学式の次の日からは、真新しいランドセルがやけに大きく見える新一年生を、
通学班のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、囲むようにして登校する光景。
20170408登校写真.jpg
不安な表情を押し殺して、通学帽を目深にかぶり、
遅れまいと小走りに歩く姿を、周囲の大人たちが見守る。
この日だけは、道路を走る車もいつもよりも徐行して、
登校の列を少し回避するように、控えめに走っています。
ウォーキングのシニアの人々も歩を止めて、
普段はうつむいてスマホをいじる高校生も目で追う。
街に新一年生のランドセルが躍るただそれだけで、これほどまでに日々の日常が変わるのは、
やっぱり彼ら彼女らを街が歓迎しているのでしょう。

本当にくだらない、ごく一部の犯罪者が、そういう街をあげて見守る子どもに手をかけて、
無残な姿にした地域もあることから、
子どもの安全のために、地域社会と行政、警察が一体となっています。
絶対に街の宝でもある、子どもたちの安全が脅かされることがあってはなりません。

いまだに逃げ続けている、子どもに手をかけた犯人は、
不幸のどん底に陥れたご家族の無念さをどう考えているのでしょうか。
逃げ通せるはずもなく、必ずやその償いのために、一生を犠牲にするはずです。
地域社会への重大な挑戦に対しても、私たちはひるむことなく対峙して行きたいと思います。

そして、それ以外の学生・生徒にとっても、新学期の始まりです。
ワクワクする気持ちと、ちょこっと抱える不安が交差していることでしょう。
毎年、新学期の前と9月1日の前には、学校に行くことを拒むどころか、
生きていくこと自体を放棄してしまう子どもたちが多いと聞きます。
私も微力ながら、そういう拙速な結論を出してしまうようなら、
学校から逃げちゃうことを、これまで提唱しています。
今年もそういう時期ですね。

学生時代、学校という枠がきゅうくつだった私にとって、
学校以外に楽しい場がいっぱいあって、そこに活路を見いだしていました。
それは今も同じ、決められた枠で没個性で生きていくよりも、
めいいっぱい遠回りして、余計なことばかりやっていくことの方を選んでいます。
じゃあ、そういう生き方をして、世間では異端扱いかと思えば、あながちそうでもないみたい。
だから、世間が決めた道になんか、歩くことを強制されないんだよね。

まして、そういう枠に押し込められるのが辛くて、生き急ごうとするのなら、
お尻をまくって逃げちゃってもいいんだよ――と、世間のオトナがやっと言い出しています。
まずは何日か、生きるための自主的な「逃避行」をして、その間にいろいろ考えてみましょう。
家で考えるより、図書館でも美術館でもいいから、なにか知的なものに触れに行くといいですね。
野球を見に行ったって、名残りの桜を見に行ってもいいと思う。
川面に桜の花がいっぱいになる「花筏」だけを見たって、
なにかいつもとは違うものを得られます。
要は、非日常を求めに、街に出てみましょう。

もし、本当に行くところがない!と思うなら、
新しい小学生の通学路で、登下校のサポートをしてあげたらいいと思います。
子どもたちや周囲を不安にさせないために、できたらサポートしている大人に、
「今日だけ自分も一緒にいさせてください」と頼むといいですね。
学校は?って聞かれたら、今日は行きたくないからと素直に言えば、
理解ある大人はきっと、それ以上を問いただしません。

そのかわり、あなたの課せられることは重大ですよ。
新小学生の命を守るために、もしかしたら命を賭す覚悟が必要ですからね。
その覚悟があれば、文字通り一生懸命に、サポートをしてあげてください。
年下の、自分とは何の関係もない子どもたちを、守ることができた時、
おそらくは爽快な気持ちになるでしょう。
周囲の大人から、感謝されるかもしれません。

生きられる命を生きるということに、なにかの感慨を持つことができたら、
ものすごく素敵な「学習」ができたのだと思います。
学校なんかでは教えてくれない、自分がつかんだ成果を噛みしめてもいいでしょうね。

子どもが安心して生活できない社会というのは、子ども以外の、すべての大人の怠慢です。
私たち大人が、汗をかいて声をあげ続けないと、とんでもない世の中になってしまいます。
あすの新学期は、それを試されていると思うのです。
こういう文章を書きながら、では自分はなにをできるのか、
なにをしなければならないのか、模索して行きたいと思います。


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稀勢の里の優勝に思うこと [考える]

稀勢の里の優勝に思うこと

全国でもっとも早く、ソメイヨシノが開花した都心に、花冷えの冷たい雨が降る日曜日。
大阪の地では、手負いの新横綱の快挙が報じられた。
奇跡と銘打った、後世に語り継がれる名取組は、
周囲もメディアも協会も、ほぼ無理だとあきらめていたものだった。
唯一、本人だけがあきらめていなかった。

荒れる春場所を全勝で牽引した新横綱は、最終盤の横綱決戦にて負傷。
土俵で表情を変えないことを是とする、相撲道の教えを忠実に守る彼が、
ふと左肩に覚えた絶望的な違和感に、かつてない歪んだ顔で応じた。
今場所の優勝どころか、来場所以降の休場も予想するメディア。
カド番大関の優勝をだれしもが想像した。
そしておそらく、その大関自身も優勝をほぼ手中に収めた、と思っただろう。

翌14日目、手負いの新横綱は、大多数の予想を裏切って強行出場した。
年に一度の大阪場所、一生に一度しか観戦できないお客さんもいる。
そういう人に、せめて横綱の土俵入りを見てもらうのも、横綱の務めだ。
――そういう気持ちで土俵に上がったに違いないと、私は思った。
左肩を動かすのも難儀な状態では、連敗するのも当然だった。
意気込みはよしとするも、その土俵を見ることが辛かった。

審判部が割を崩して、千秋楽に新横綱は、優勝のかかるカド番大関との取組を編成された。
休場すれば、不戦勝で優勝が決まるという、興行上の問題もあるからだろう。
新横綱は悲痛の思いで、これまた強行出場した――と、私は思っていた。

本割で、新横綱は上手を求めて変化気味に立ちあった。
ここ数年、彼が見せたことのなかった「この一番の勝ち」だけを求めた。
カド番大関は、心を鬼にしてその取り組みに臨めなかった。
勝負は決して、優勝決定戦にもつれた。

そして――実はその瞬間に土俵の神は、どちらに勝負の微笑みを見せるかも決めていた。

決定戦で、小手に巻かれて投げられた大関は、土俵に腰をついて、
悪夢を見ているかのような表情で、しばし遠くを見た。
指の隙間から、それもほんの少しの間から、逃げて行ったものの大きさを感じた。
勝った新横綱には、大阪の好角家の地鳴りのような歓声が降り注がれた。
勝者と敗者、明と暗、これほどまでの極端なコントラストだった。

君が代が流れる館内で、あふれ出る涙に去来したのはなんだろうか。
初場所の、欲しくて欲しくてたまらなかった賜杯とはまた違うものだったのだろう。

しかし、彼は、この優勝を手にしたかわりに、途方もない今後の茨の道を歩むことになる。
それが遅咲き横綱にとって、良かったのかどうかはわからない。
素人目にも、彼の負ったケガは、力士人生を左右するほどの重症だからだ。
時の首相から「感動した」と評された大横綱が、その無理がたたって長期休場をしたのも事実だ。

でも、新横綱だけが、あきらめずに千秋楽での逆転優勝を狙っていた。
だからこその強行出場だし、本割での勝ちを求めた立ち合いの動きだったのだろう。
勝つことへの非情なまでの貪欲さを、見たような気がする。

手負いの傷を深めてもなお、手に入れた優勝に対しては称賛する。
ただ、後退することができない地位での無理に対して、
もっと違う選択肢があったとしたら、今場所の結末はどうなっていたのだろうか。
そう考えると、まだ私の中で、手放しで喜べない自分がいることも事実だ。

照ノ富士が、逃したものの大きさに打ち震えて、
来場所以降のスケールの大きい相撲を見たいと心底思った。
そして稀勢の里、2度目の優勝おめでとう。
ケガが癒えて、緊張感のある彼の土俵が、また、見たい。

20170327稀勢の里優勝.jpg

タグ:相撲
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鎮魂の日よりも、希望の光に向きあう日 [考える]

鎮魂の日よりも、希望の光に向きあう日

首都圏は春の光が降り注ぐ、きのう6年目の鎮魂の日でした。
式守錦太夫です、穏やかな時を過ごされたことだと思います。
土曜日の銀座・和光では、地震のあった時刻に鐘が打ち鳴らされ、
通りがかりの人々が歩を止めて、目を閉じたという写真を見ました。
多くの人々の心に深い刻みを負ったあの日から6年。
風化の懸念を払しょくしたいとする、皆さんの信念に敬意を表したいと思います。

私は毎年、これも継続して唱えていることではありますが、
3月11日の鎮魂の日よりも、その翌日の方が大事だと思っています。
もちろん、亡くなった人への祈りは尊いものですが、
私たちに託されているのは、その多くの命の代償である、
復興への道を歩み続けることであります。
だとするなら、むしろ3月11日を一過性のものにせず、
希望の光に向かってなお活動する「3月12日」の方がより重要です。

いまだに福島出身だということで、言われなき差別が続いているとの報道がありました。
無知と無理解が徐々にはびこる社会。
そこで「違うんだよ」と声を上げ続けないと、不幸の拡大再生産が続きます。

帰宅困難地域とされている行政区が、4月1日から制限の撤廃になります。
なお不安がうごめく地域社会。
それで解消したと言い切れないジレンマ。
なお継続した支援と啓蒙が必要です。

祈るだけの3・11ならば、正直、誰でもできます。
これから1年、どのようなスタンスで自分たちが被害に向き合うのか、
その第一歩である3・12を私は見つめていきたいと思います。

やはり何かの行動を、この1年の中で行いたいと胸に誓っています。
なかなか遠出のできない生活ではありますが、
福島や宮城に、日帰りでもいいから行ってみたいとも思います。
行って何ができるのかではなく、一歩でも半歩でも前に進む。
壮大な自己満足でも、その積み重ねが「心の支援」につながるならと思います。

昨日も書きましたが、プラネタリウムの震災特別投影は、
2018年にはぜひやりたいと思います。
主担当ではなくても、そこのスタッフに名を連ね、汗をかくことで、
自分なりのアクションになると思うのです。

きょう3月12日も、私は仕事がロングになる予定です。
仕事場に身を置き、実は普通に仕事ができていることを幸せに思い、
これからの一年、希望の光に向かって何ができるのか、何をしなければならないのか、
自問する時間にしたいと思います。

明けないと思った6年前の3月11日の夜、無数の流れ星が人々の心を打ち、
律儀に朝日が昇ってきたことは、おそらく一生忘れません。
だから、きょうの朝日を希望の光だと思って、過ごしたいと思います。
20170311朝日.jpg

あすからまた、いつもの体裁の記事に戻ります。
どうぞお付き合いくださいませ。

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東日本大震災から6年、穏やかな日でありますように [考える]

東日本大震災から6年、穏やかな日でありますように

今年も鎮魂の日がやってきました、式守錦太夫です。
弊ブログは2011年1月に開設し、2ヶ月ほど細々と綴っていた3月11日に、
あの震災と大津波が発生しました。
1カ月ほど特別運用として、発信することでできる支援を続けていた自負があります。
揺られながら、多くの人の命と尊厳が失われることを、自分の心の痛みととらえ、
その思いを文字で発信することによって、なにか自分が関われることを模索していました。
実際に、自分もライフラインの一翼を担う立場として、活動していたのもありました。

2年前からは、私の関わるプラネタリウムで「震災特別投影」を行いました。
20160305星空とともに.jpg
(このフライヤーは昨年のものです)
(昨年の投影の様子は、こちらの記事から)
仙台市天文台が制作した番組に、私たちの思いを加味して、
3月11日前後に投影することで、私たちなりの震災へのアクションを行っていました。
今年はプラネタリウムの機器更新にともない、特別投影は行えません。
やはり毎年、仮にお客さんが少なくても、続けることで震災の風化を防ぐ。
そういう意味では、今年続けられないことが痛恨の極みでもあります。
ですが私たちの中では、来年2018年の3月には、新しい機器になったプラネタリウムで、
投影したいということをすでに予定に組み込んでいます。

免罪符のように、この時期になると「震災を忘れない」と言っていることに、
多少の違和感を覚えますが、でも私はそれでもいいと思います。
声に出す、なにかの行動をする――。
そのことが、日々できないのであれば、なんらかのきっかけで思い出したようにすればいい。
なにもやらないよりは、ずっと立派なことだと思うのです。

もちろんいまだに自分の家に帰れない人、行方不明のままの家族がいる人にとっては、
渦中のことです。
亡くなった人のご家族は、今年は「七回忌」ですね。
そして、そういう人々に、息の長い支援を続ける人たちがいます。
そんな人々がいることを、私は誇りに思います。

今年の3月11日は、震災支援に具体的な行動をなにもできない私です。
でも忘れたわけじゃない!
いつも思い続けています、それだけは誓います。

昨年の熊本地震、鳥取地震、北海道水害などの災害に心を痛めましたが、
その痛み方はきっと、6年前のきょうを経験して変わったと思います。
人間の精神をコペルニクス的に転回させるだけの、大きな出来事でした。
そしてつい数日前の、長野県の防災ヘリの墜落事故
痛ましい事故でありました。
今後も、災害と向き合う日本列島です。
減災への思想を、より強く感じました。

きょうは私は2セットで遅番勤務です。
思えば6年前のこの日、ロング勤務になる予定だったので、
たまたま休憩を取っていた時に揺れて、そのままノンストップで特別態勢に突入しました。
鎮魂の日は、仕事をしていた方がしっくりきます。
もちろん特別態勢ではありませんが、静かに仕事をしていることで、
あの日を心に刻めるような気がします。

穏やかな日でありますようにと、心から願います。

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読書をしないといけないの?という暴論に触れて [考える]

読書をしないといけないの?という暴論に触れて


きのうはがんばって、夕方から日光に車を飛ばし、アイスホッケー観戦をしに行った式守錦太夫です。
片道2時間、往復4時間のドライブで、2時間ちょっとの試合を見に行くのは酔狂ですが、
私の貴重な趣味の一つですからね


3月8日の朝日新聞(東京本社版)の、読者からの意見を掲載する「声」を読んで、
愕然とした投稿がありました。
まずはこの文章を掲載します。

-------------------
読書はしないといけないの?(東京都 大学生 21歳男性)

「大学生の読書時間『0分』が5割に」(2月24日朝刊)という記事に、懸念や疑問の声が上がっている。
もちろん、読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。
しかし、だからと言って本を読まないのは良くないと言えるのだろうか。

私は、高校生の時まで読書はまったくしなかった。
それで特に困ったことはない。
強いて言うなら文字を追うスピードが遅く、大学受験で苦労したくらいだ。

大学では教育学部ということもあり、教育や社会一般に関する書籍を幅広く読むようになった。
だが、読書が生きる上での糧になると感じたことはない。

役に立つかもしれないが、読まなくても生きていく上では問題はないのではないかというのが本音である。
読書よりもアルバイトや大学の勉強の方が必要と感じられるのである。

読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。
なぜ問題視されるのか。
もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるなら、教えて頂きたい。

--------------------------
――そうか、こういう意見がついに出ちゃうのか・・、と心底思いました。
なんか残念だし、心がすさぶような意見だなあ。

私は読書の鬼でした。
過去形になっているのは、いまは時間が取れずに、読書をしたくてもできないから。
でも、活字中毒であります。
活字に囲まれていないと、おそらくは生きていけないと思います。

朝日新聞の「声」の欄には、読者に論争をさせるために、ときどき極論を掲載することがあります。
今回のもそれなのかなと思いますが、こういう意見がついに出るのは、哀しいです。

まず、この文章を書いた大学生が、教育学部という、教員を養成する学問に携わっていて、
読書は生きる上での糧にならないとする持論を展開していることに、驚きました。
教育の多様性は是とするものの、これは無意味だと切り捨てる思想がある人は、
こと子どもたちに何かを導く立場に立つべきではないと思うのです。
今回は読書ということで語っていますが、別のものに置き換えられてもおかしくないですよね。
教育の可能性があるものを、無いと言い切ってしまう乱暴な意見を簡単に言えてしまうのは、
やっぱり「正しくない」と思うのです。

次に哀しいと思ったことは、楽器やスポーツのような趣味の一つが読書であり、
その趣味があってもなくても構わないという意見です。
趣味って、あってもなくても構わないものなのでしょうか?

弊ブログの読者のみなさんであればお分かりの通り、私は病的なまでの多趣味です。
その趣味の一つ一つがかけがえのないものです。
仕事をしているのは、極論すれば「趣味を楽しむため」とも言えます。
だから、趣味には全力をぶつけます。

私の知り合いには、楽器やスポーツに対して、命を賭してまで極めようとしている人がいます。
あくまで趣味の範ちゅうですが、投資して寝る暇を惜しんで全力でぶつかっている。
だから私は、そうやって「バカになって」まで趣味を楽しんでいる人を尊敬します。
それを「あってもなくてもいいもの」と断じてしまうことは、乱暴だなと思います。
大学の勉強やアルバイトの方が大事だと言っておられるけど、
その論法からすれば、ある日突然、それらも「どうでもいい」と言いかねないなあと思うのです。

読書は人を豊かにする――と言います。
豊かな気持ちになりたくて、読書をしているわけではありません。
活字は、人間がビジュアルに想像できる、そのための手助けをしてくれるものです。
頭の中で、活字を映像に変換してくれます。
だから、人によって受け取り方は千差万別なのです。
そして、だからこそ面白いのだと思います。
要は、豊かさというのは「違いを楽しめる」ということだと思うのです。

違うことがいい――これぞ教育の基本だと考えます。
だから、これを書いた彼が教員養成の学校に行っていることは、
自己の否定をしているようで、それが哀しい。

文字が読めるようになるというのは、快感を伴うものです。
子どもをごらんなさい、平仮名が読める、自分の名前が書けるということを、
全身を使って喜びます。
辛い時、悲しい時にも人間は文字を欲します。
災害などで避難所に新聞の号外が届けられると、むさぼるように読み始めます。
文章を読むという行為は、生きる糧どころか、本能的欲求です。
それを否定してしまうのは、疑問というよりも気の毒にすら感じます。

おそらく書いた彼は、読書をしなければならないという「半強制」が嫌いなのでしょう。
その感覚はわからないでもない。
でも、人間が縁あって、文字を記すという能力を会得しました。
だから、他の動物にはない「感情」を手に入れました。
そういう人類の長いプロセスを鑑みれば、
暴論を簡単に表することはできないのではないかと思います。

もし百歩譲って、読書は必要ないという持論で、今後も彼が生き続けていくのであれば、
もうこれ以上、私が何かを言う必要はないですね。
ただし、私は彼のような人と、一緒の場所にいたくない。
極論すれば、同じ空気を吸いたくありません。
――というのも、暴論でしょうか?

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間垣親方の逝去に寄せて [考える]

間垣親方の逝去に寄せて


稀勢の里の横綱昇進に沸く相撲界で、ひっそり大関から陥落した琴奨菊。
寄せる波と引く波、この栄枯盛衰が無慈悲に押し寄せます。
そんな中、あまりにもガッカリする報道が31日昼、突然に飛び込んできました。

「元・時天空の間垣親方死去、悪性リンパ腫により、享年37歳」
20160827時天空.jpg

弊ブログでは昨年、間垣親方の襲名時に記事を掲載しました。
詳しくはこちらから。
業師といわれる、彼の足技に魅了された現役時代。
そして、お相撲さんとは全く縁遠い病名の「悪性リンパ腫」との闘病。
5場所全休し、抗がん剤治療のためにすでにまげを落とし、丸刈りでの引退会見。
鬼気迫る迫力のあった彼の表情は曇り、
「同じ病気で闘う人のために、病気と闘う」と涙をこぼしたのを見て、
私も心から感動し、一緒に涙をこぼしたものでした。

「なんか、普通の力士の現役引退と違って、祈る気持ちが強い、不思議な感じです。」
――と、その記事には記しました。
完治するのがきわめて難しい病名を前に、
でも彼ほどの人だったら、いつか病にうち勝ってくれると信じていたのです。

昨年の9月場所では、若手の親方として、花道の警備などを行っていました。
相撲中継の解説席にも座りました。
なにより、昨年10月の明治神宮奉納相撲戦士権大会のときに、
打ち出し後、タクシー待ちをしている間垣親方を見かけて、
「がんばってください」と握手したのを鮮明に覚えています。
ああ、懸命に病気と闘っているけど、こうして人前に出られるんだなあと。

ところが、11月場所、1月場所と彼の姿は見えませんでした。
少しだけ心配はしていましたが、まさかここまで深刻な病状だったとは。
だから、彼の訃報にはさすがに目を疑ってしまいました。

そして、彼の死を「辛い」と思う以上に「悔しい」と思いました。
1つには、彼の生きたい、そして後進の指導で立派な力士を育てるという夢がついえたこと。
そしてもう1つは、お相撲さんと最も縁遠い、悪性リンパ腫に打ち負けたこと。
痛みに耐えて、でも薄らぐ意識の中で彼はきっと、
まだ残したことの大きさを悔やんだだろうなと思いました。
だから彼は、往生ではありません。
志半ばに倒れた、勤皇の志士だったのです。

悲しみに暮れる、名門の時津風部屋が稽古を再開したとの報道もありました。
アキレスけん断裂という大ケガからの再起を目指す、元三役力士の豊ノ島が
「フチェ(時天空のニックネーム)のために」というコメントを出しました。
若手とベテランがうまくかみ合った、いい部屋です。
きっと今年は、時津風部屋力士の活躍が見込めます。
間垣親方、もう少しだけ彼らに力を与えてください。

時天空というしこ名は、先代の時津風親方が、
モンゴルの澄んだ雄大な空をイメージしてつけたとされています。
モンゴルの農大から、東京農大に転入した異色の力士。
そして、柔道経験からの足技で相手を翻ろうする取り口。
彼の鬼気迫る迫力ある表情に、私は魅了されました。
日本国籍を取得し、モンゴルと日本の懸け橋として、
相撲と農業でさんざん活躍するはずだった、その志を忘れません。

モンゴルと日本、国境はあれど、
彼の背負っていたしこ名の「天」も「空」も、分け隔てはありません。
私は間垣親方の存在を今後も、記憶にとどめておきたいと思います。
空に帰ってしまったのは、あまりに早すぎましたが。

タグ:相撲
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【式守錦太夫コラム】 稀勢の里が優勝 [考える]

【式守錦太夫コラム】 稀勢の里が優勝


昨年末に寄席で落語を聞いた。
演目は「芝浜」、圓朝の三大噺としても有名な押しも押されぬ名作だ。
拾った財布を妻に夢だと言い含められ、身を粉にして3年働き財を成した大晦日の夜、
妻に夢じゃなかったと明らかにされる。
歳末の慌ただしさに、ぽっと潤いを感じられる噺だ。

20年近く前、萩原寛(はぎわら・ゆたか)君という小学生が茨城県にいた。
圧倒的な体格で、所属していた野球チームでは捕手にして4番打者だった。
その後、中学生になると投手に転向。
類まれなる野球センスから、県内の強豪高校からも誘いが来たほどだ。
それを萩原君は断って、進学せずに相撲界に飛び込んだ。
野球はお金がかかる、相撲だったら早くお金がもらえる。
苦しい家庭を助けるつもりもあったのだろう。

角界でもこと稽古が厳しいと定評のある、鳴門部屋(当時)に入門。
文字通り、稽古で血と汗と涙を流したとされる。
「稽古は嘘をつかない」と言われる相撲界。
萩原君は18歳で新入幕、その後も記録ずくめで出世した。

萩原君は格上力士にめっぽう強かった。
当時の横綱・朝青龍との取組が組まれると、人気低迷中だったにもかかわらず、
当日券を求める人が行列を作るほどだった。
現横綱の白鵬の連続勝ち星記録を止めたのも萩原君。
見ている人が「何かやってくれそう」だと思わせる力士だった。

昨年は年間最多勝ち星を、一度も優勝しないままで記録した。
記憶にも記録にも十分に残る、堂々の名大関。
ただし、萩原君が唯一、記録から縁遠かったのが「優勝」の二文字。
これまで何度となくその間際まで迫るも、あと一歩のところで届かなかった。
好角家は、萩原君の足りないなにかを憂い、優勝を懇願するもそれを声に出さなくなった。
言葉にしてしまうと、本当に果たせぬ夢になってしまいそうだったから。

今年のお正月気分がまだ漂う中、両国に触れ太鼓の音が鳴り響いた。
天皇陛下をお迎えしての初日から、萩原君は安定して勝ち星を重ねた。
いつしか、みんなが果たしえないと思った「優勝」の二文字が語られるようになった。
期待と裏腹に、好角家はなお自重し、最後まで懐疑の眼差しで萩原君の取組を見た。
それはきのう14日目の逸ノ城戦でも同じだった。
しかし、白鵬が負けたことにより、千秋楽を待たずに萩原君はついに優勝を果たした。

夢を口に出すと逃げてしまうと思っていた。
でも、どうやらそうじゃなかったみたいだ。

5年前に亡くなった先代の鳴門親方(元横綱・隆の里)は萩原君に、
稀(まれ)な勢いで駆け上ってほしい気持ちを込めて「稀勢の里」というしこ名を与えた。
「稀」は、偶然の意の「まぐれ」ではない。
まさに、好角家どころか国民が渇望した優勝を、先代の親方が願った通り、
圧倒的な稽古で勝ち取った。
萩原君が野球の道に進まなかったからこそ、果たし得たものだ。

相撲界では「初場所が終わって、はじめてお正月を迎える」と言われる。
だとするなら、きょうの千秋楽は文字通り「大晦日」だろう。
冒頭の落語の芝浜では、大晦日、自重していた酒を飲むときに
「よそう、夢になるといけない」と言ってサゲる。
だったら、私も萩原君=稀勢の里が賜杯を抱く時に、
夢なのかどうか、ほおを少しつねってみたい。
みんなが抱いてきた夢が、夢じゃなくなったと感じる痛みがあるだろう。

賜杯を抱く彼の姿が、涙で少し見えづらいかもしれないけれど。



私が万感の思いに浸った昨日、稀勢の里が優勝した。
20170122稀勢の里.jpg
タグ:相撲
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