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日航機墜落事故から30年 [考える]

日航機墜落事故から30年

すでに報道でもある通り、いまから30年前の1985年8月12日
羽田発大阪行きの日本航空123便は、乗員乗客524人を乗せたまま、
群馬県の山中に墜落しました。

当時中学生だった私は、航空機墜落の一報のニュースを見てから、
その報道特別番組をかじりつくように見ていた記憶があります。
翌13日の早朝、現場が特定されてあの悲しい現場映像を見て、
正午に生存者情報が流れ、翌日からの遺体確認など・・。
ひと夏を、このニュースが席巻していました。

多感な時期、そして社会事象にこと興味を持っていたころ。
いわば、あまりにタイムリーで、現在進行形の大事故でした。
犠牲になった人には、たいへん無礼なものかもしれませんが、
「見てやろう」という思いが強かった事故であります。

日航機墜落関連の書籍を、そのあとむさぼるように買って読みました。
購入しただけでも、10冊はくだらないでしょう。
事故調査に関するもの、遺族対策のこと、捜索活動のもの。
その中でも、やはり新聞記者志望だった当時、報道にまつわるものは、
いまだに読み続けています。
「クライマーズハイ」のように、映像化されたものもありましたが、
朝日新聞社が発行した「日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時」は、
読み物として、秀逸だと思っています。
20150811日航機墜落.jpg

事故に携わった百数十名の記者たちが、克明なレポートを執筆したことにより、
事故発生から24時間のドキュメントとしては、異例の内容の濃さ。
いわば、24時間を百数十人がまとめた文章なのですから、
濃さは当然ともいえるでしょう。

日航機事故は、実は新聞は「完敗」したのです。
というのも、速報は時事通信、生存者映像はフジテレビが特報したのですから。

時事通信は、日航ジャンボ機の機影が消えたというフラッシュ原稿を、
どこよりも早く世界中に打電して、新聞協会賞を受賞しました。
羽田空港記者クラブの常駐社は、NHKと時事通信だけで、
たまたまNHKの記者が席を外していたので、時事通信が特ダネを拾ったというもの。
たった一行「東京発羽田行きの日航ジャンボ機がレーダーから消える」のフラッシュで、
時事ファクスを受信していた全国のメディア関係者が、文字通り「ひっくり返った」そうです。

生存者映像は、フジテレビ報道局の作戦勝ちでした。
幾重にも山並みがある現場は、ヘリコプターで降下するのも難しい場所。
上空のヘリコには、生放送を飛ばすだけの設備がありますが、
現場からは映像も画像も、それを飛ばすことができませんでした。
テレビカメラで撮った映像は、テープにして下山し、中継車から送るか、
スチールカメラで撮った画像は、フィルムをヘリコに吊り上げて現像する必要があったのです。
ところがフジテレビだけは、小型のパラボラアンテナを現場に持参し、
現場の映像をパラボラでヘリコに飛ばしたのです。
だから、他局は空撮の望遠での生放送でしたが、フジテレビだけは地上の映像を生で出せたのです。

いまとなっては、画像も映像ももっと簡単に共有できる時代になりましたが、
当時は1枚の写真、一瞬の現場映像に、多くの人海戦術に頼るしかない時代だったのです。
そしてこの事故以降、メディアの速報性、機動性は格段の進歩を遂げました。
エポックメイキングだったと言えるでしょう。

当時の運輸省事故調査委員会は、数年前のジャンボ機尻もち事故の際に、
圧力隔壁の修理不備が、金属疲労を招いたとして、事故に結び付けました。
そして、会社としての日本航空を業務上過失致死として訴追しました。
ですが、これはあくまで、捜査機関が加害者として立件しただけのこと。
実際は、だれひとり加害者はいない事故でした。
遺族たちはもちろん、対策にあたった日航社員もメディアも地元の人も、
いずれも被害者です。
その後の人生を左右され、あるいは殉死した人も数多いと言います。

事故から30年、区切りというのはあまりに簡単です。
その多くの人が、ずっと背負ってきた肩なり背中なりの重荷を、
少しでも軽くなるのにかかった期間だと言えるなら、でも重くて長い期間でした。
事故を契機に、よりフィールセーフを目指す対策が練られたと言います。
国内では、あの事故以上の惨事は起きていません。
520人を一瞬にして死に至らしめた、その重い人柱の上に、
こんにちの私たちの生活が成り立っているのです。
だとするなら、事故の起きた午後7時前後に、御巣鷹の方角に向かって、
鎮魂の黙とうをささげたいと思います。

豊田商事事件や、ロス疑惑があった当時、メディア関係者への風当たりが強かった時代でした。
記者たちは「おまえら、なにか面白いことがあると、いつも探し回っているんだろう」と、
批判されていたころでもあります。
ある記者は自嘲気味に、でもこう答えていたのを思い出しました。
「新聞記者にとって、事件は一種の麻薬のようなものかもしれない」。
だから、誤解を恐れずに言えば、何もかもを忘れて、一心不乱に追いかけてしまう――と。
奥さんとの結婚記念日も、子どもの学校参観日も、親の誕生日も、見事に忘れてしまうといいます。
わき目もふらずに没頭し、事件事故の断片をあつめ、そのひだを伸ばし、
真相に近づこうとする。
そういう癖が、報道陣にはより濃くあるのです。

その報道に携わった人が、日航機墜落の一報を掲載した翌日13日の朝刊で、
痛恨の思いを後日吐露しました。
見出しは最大級の事故を示す、横2段トッパン「524人乗り日航機墜落」。
縦は6段見出し「長野・群馬県境付近」という圧倒的な紙面。
しかし、記事中に「乗員乗客は絶望と見られる」として、それが見出しにもなりました。
翌日、フジテレビの現場生中継を見て、みんなが悔し涙を流したそうです。

「紙面で全員を殺してしまった――」。

このことを痛恨と思える人が、メディアにいる限り、メディアにはまだ可能性があると思うのです。

日航機が墜落した日、月齢は新月に近く、ほぼ闇夜。
そして、ペルセウス座流星群の極大でありました。
多くの人が、その流星群を見に、山中にいたと言い、
そのうちの一部の人は、捜索活動に協力したとのこと。
そして今年のきょうも、闇夜で、流星群の極大であります。
この日に流れる流星は、無念の死を迎えた乗客の想いかもしれません。
きょうは空を見上げ、星が流れれば鎮魂の祈りを唱えたいです。
まったく落ち度のない、なぜ命を落とさなければならないかがわからないまま、
無残に御巣鷹の尾根に散った、その御霊をなぐさめるために。


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名無しさん

国会(衆参両議院)・群馬県議会・同県上野村議会に於いて、日本航空機墜落事故調査特別委員会を各々設置議決して、議院証言法に基づく証人喚問・地方自治法第100条に基づく百条委員会での証人尋問を各々関係者等に対して行い、証拠提出や陳述によって、事故責任・事故の真相究明を徹底的に進めるべきだったと考えます。
大変残念至極であります。
by 名無しさん (2017-08-03 03:35) 

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